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筆の雫

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
2026年4月15日 (水) 23:37時点におけるIHiroaki (トーク | 投稿記録)による版

筆の雫(ふでのしずく)は、出口王仁三郎の著述。明治36年(1903年)に執筆された。

概要

『筆の雫』は、一九〇三(明治三六)年七月一九日から執筆され、翌年一月八日に脱稿されたものである。著作当時の原本はいまはない。現存する後年の写本では、ゆきづまった世情を批判し、人生の本義を示し、国祖が出現して世界を立替えねばならぬ理由として、「艮の金神様のおかまひなさる松の世のやりかたは、兵士もいらぬ戦争もなきやうに、天下泰平におさまるようになる」と戦争を否定し、運不運のない社会を造らねばならぬとのべ、また、「天地がかへると云うのはみたまのことで、何事も精神的に解釈せよ。戦争や天災だけで、立替えは出来るものでない」と、とかれている。
出典: 『大本七十年史 上巻』「著作と布教#

単行本化はされてない。『新月の光』によると王仁三郎が出版を許可しなかった。〈天声社から昭和六年頃に、聖師が明治三十六年に執筆された『筆のしづ九』をまとめて出版させて頂きたいとお願いしたら「『筆のしづ九』は出版しないように」とお許しが出ませんでした。(波田野義之氏拝聴)〉[1]

公開されているものは、次の2種ある。内容は一部重複があるものの、全く同一ではない。

(1) 大正期に「筆のしづ九」という題で『神霊界』に掲載され、戦後『大本史料集成』に収録されたもの。

  • 神霊界』大正9年9月21日号、10月1日号、10月11日号、10月21日号、11月11日号、12月号、大正10年1月号、2月号、3月号
  • 大本史料集成 Ⅰ 思想篇』(昭和57年発行)499~535頁、第二部>第一章>第五節「筆のしづ九#」(2026年4月現在まだテキスト化されていない)

(2) 大本本部所蔵の写本を底本とし、『出口王仁三郎著作集』に収録されたもの。

  • 出口王仁三郎著作集 第二巻 変革と平和』(昭和48年発行)8~101頁「筆のしづく 抄#」(2026年4月現在まだテキスト化されていない)

編者(安丸良夫)による解題には次のように解説されている。

 『筆のしづく』の大部分は、明治三十六年七~九月に綾部の大本本部で書かれ、ごく一部が同年十月以降翌年一月はじめまでの期間に書かれた。明治期の王仁三郎の社会思想を知るうえで、もっとも重要な文献であろう。第一~八巻、第十三~十六巻の写本が大本本部に所蔵されており、本書ではそれを底本とした。そのうち、第六巻と第八巻はきわめて短いが、もとからそうだったのかどうかわからない。本書には、第一~四巻・第十六巻の全文と、第七巻・第十四巻・第十五巻からいろは歌、高利貸し批判と普選を主張した部分の抄出を収めた。

 本書の底本は、第一~四巻は、大正十五年に成瀬勝男が写したもの、第十五巻と第十六巻は、大正十三年に谷川常清が写したもの、他のものも同じころの写本であろう。そのころ、大本には史実課が設けられ、その仕事としてこれらの写本がつくられたのである。これらの写本の底本は、一部は湯浅斎治郎西田元教所蔵の写本であったことが明記されているが、大部分はなにも記されていない。西田は王仁三郎の義弟で、明治三十年代の王仁三郎にもっとも忠実だった人物であり、湯浅は明治末期の王仁三郎がもっとも信頼していた信者である。おそらく、これらの人々が王仁三郎の原本から写したものが、大正期にふたたび写されたのであろう。

 『筆のしづく』は、ごく一部が雑誌「神霊界」に発表されたほか、タイプ印刷やガリ刷りによってごく狭い範囲の人々に配布された。しかし、それも全部ではなく、またやや省略された伝本によったものもある。

 したがって、まとまった形で公刊されるのは、本書がはじめてである。
出典:『出口王仁三郎著作集 第二巻』414頁

関連項目

脚注

  1. 『新月の光』0162「筆のしづ九(聖師執筆)」