このみち

2025年3月30日 (日) 11:44時点におけるIHiroaki (トーク | 投稿記録)による版 (ページの作成:「thumb|『このみち』創刊号 '''このみち'''は、大正時代に大本が発行していた機関誌。 (出口王仁三郎が皇典講究所時代に文芸クラブ秋津会の月刊雑誌『このみち』主筆となったが<ref>『大本七十年史 上巻』「{{obc|B195401c1721|皇典講究分所入学}}」</ref>、それとは異なる) * 大正5年(1916年)4月11日、根本学…」)
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このみちは、大正時代に大本が発行していた機関誌。

『このみち』創刊号

(出口王仁三郎が皇典講究所時代に文芸クラブ秋津会の月刊雑誌『このみち』主筆となったが[1]、それとは異なる)

  • 大正5年(1916年)4月11日、根本学社から『このみち』創刊。その後、『敷嶋新報』と『このみち』が合併して『敷嶋新報・このみち』となった。[2]
  • 大正6年(1917年)1月、『敷嶋新報・このみち』は改題され、『神霊界』が発刊。号数は受け継いでいるので、『神霊界』1月号は第43号になっている。[3]

脚注

  1. 大本七十年史 上巻』「皇典講究分所入学#
  2. 大本七十年史 上巻』「改称の理由#
  3. 大本七十年史 上巻』「創刊の辞と檄#