透明殿(とうめいでん)は、亀岡の天恩郷にあった建物。現在の万祥殿の場所にあり、昭和神聖会統管部が置かれていた[1]。
昭和5年5月5日に神示によって全国一斉に神殿・祠宇の扉が開かれたが、昭和10年10月10日再び神示があり、透明殿や光照殿の門が一斉に開放された。これは人間界の神業が5年遅れていることを神界から示されたものである。〔新月の光[5]〕