淡路の神秘
淡路の神秘(あわじのしんぴ)は、武智時三郎(1884~1960年)の著書。淡路島で発見された古代イスラエルのものと言われる遺跡について書かれた本。昭和28年(1953年)刊。
白山義高(淡路古文化開放協会会長)が書いた「まへがき」の中の8頁から14頁にかけて「皇道大本の秘義鳴門の仕組を委嘱される」という見出しで、白山と出口王仁三郎との関わりが記されている。
それによると白山は第二次大本事件前(具体的な年月日は不明)に「お前は大本に入信せずに行者となれ」と言われた。そして「大本の究極の宗教原理を示す雛型建設の必要がある。淡路の神代村[1]に井戸を掘り上げてもらいたい。工事に着手するのは10年後であり、それまでに古文化遺跡の調査をして欲しい」と言われた。
昭和17年8月、井戸掘りの段取りが出来ると、王仁三郎は仮出獄し亀岡に帰宅した。白山は亀岡に通い、王仁三郎から指示を受けた。この井戸は王仁三郎によって「元井戸」と命名され、以後白山は毎月2~3日ずつ亀岡に通い、王仁三郎から元井戸の意義と目的について講義を受けた。
昭和19年10月に元井戸が完成し、敷地内の祠に、王仁三郎から下付された御神体(銀色の短冊に御神号を認めたもの)を奉斎した。「この御神体はやがて近江、さらに北伊勢に移される時が来る」「淡路の神秘が開発されないと、不二と鳴門の仕組は完成しない」と王仁三郎に言われた。(この井戸掘りは裏神業の世界では「淡路島神業」と呼ばれている)
戦後、王仁三郎から御神体を近江へ移せと指示されたので、滋賀県甲賀郡大原市場(現・甲賀市甲賀町大原市場)に移した。
昭和22年12月に王仁三郎に面会した時、「元井戸の御神体を北伊勢に移すことは、皇道大本雛型教の最後の宮殿を建てるのであり、この宮殿を中心として、世界の宗教が一堂に会することになる」と言われた。これが王仁三郎との最後の面会であり、翌23年1月19日に王仁三郎は昇天した。
概要
題名 | 淡路の神秘 |
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副題 | ヱル、ヱロヘ、イスラヱル(エル、エロヘ、イスラエル) |
著者 | 武智塩翁(武智時三郎) |
発行日 | 昭和28年(1953年)9月16日 |
編集兼発行人 | 白山義高(淡路古文化開放協会会長) |
発行所 | 淡路古文化開放協会事務局 |
頁数 | 272頁 |
定価 | 350円 |
OBN | OBN:1541 |
- 昭和47年(1972年)7月、『淡路の神秘』の一部を削除し思兼鴻秀が編集し直した『日本学とイスラエル ──淡路の神秘とエル・エロヘ・イスラエル』(人間新書10)が思兼書房から刊行された。236頁。NDLDL蔵書 ……白山義高の「まへがき」は削除されている。
- 平成28年(2016年)10月、解説を加えた復刻版『淡路の神秘 ──ヱル、ヱロヘ、イスラヱル』が八幡書店から刊行された。272頁+解説33頁(平津豊「淡路島に残るイスラエルの足跡」)。
脚注
- ↑ 現・南あわじ市神代