喜楽亭(きらくてい)は、上田喜三郎が25歳の頃(明治29年乃至30年)に、郷里・穴太の郷神社(現・神明社)の近くに借りた小屋に名付けた名前のこと。
明治31年(1898年)3月1日、この喜楽亭で寝ているときに松岡芙蓉仙人が現れて高熊山に連れて行かれた。
現在の神明社の社前の広場になっているところに喜楽亭があった[1]。