霊界物語第46巻の諸本相違点

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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霊界物語第46巻の諸本相違点について記す。

霊界物語諸本相違点とは、霊界物語刊本の諸本(初版校定版愛善世界社版など)の本文の相違点のことである。

  • 諸本すべてをチェックしたわけではない。飯塚弘明霊界物語ネットのデータ作成の過程において気がついた相違点をピックアップしたものである。霊界物語ネットは愛善世界社版を底本にしており、主に愛善世界社版八幡書店版との相違点をピックアップしてある。全ての相違点ではなく、あくまでも気がついた点だけである。
  • 八幡書店版の本文は校定版とほぼ同じである。また、王仁DBのデータは霊界物語ネットと同じである。
  • 各諸本を次のように略す。 初…戦前の初版 再…戦前の再版(第二版のこと) 三…戦前の三版(四版以降も同様に略す) 御…聖師御校正本 普…普及版 校…校定版 修…修補版 八…八幡書店版(八幡版) 愛…愛善世界社版(愛世版) R…霊界物語ネット
  • 最も基準にすべき原典は御校正本であり、それと他の諸本を比較すべきである。また、八幡版の底本は校定版である。しかし霊界物語ネットのデータ作成の段階では御校正本や校定版が入手できなかったため、やむを得ず、八幡版や愛世版を基準にして、御校正本や校定版を比較しているかのような書き方をしている場合もある。
  • 天祥地瑞は最初から校正された状態で発刊されているため、御校正本というものは存在しない。戦前発行された初版と、戦後発行された版(再版以降)との比較になる。
  • ストーリー上の矛盾や、意味の変更を伴うような重大な相違点については 【重大】 という表示を付けた。

ウラナイ教の「教主」と「教祖」という言葉に混乱が見られる。第46巻第1章と第2章に関しては下記のように詳しく調べたが、他の章や他の巻については詳しく調べていない。霊界物語ネットでは基本的に御校正本と(あるいは初版、愛世版と)同じにする。

p7,15,23,24(第1章) (すべて教主)

蠑螈別が教主とし(略)
ウラナイ教の教主様、立派な家が(略)
魔我『(略)ウラナイ教の副教主といふ絶対権威を(略)
教主の出た後は副教主が教権を(略)
万公『魔我さまが副教主で、(略)
ヤツトの事で小北山の教主館まで帰つて来た。

p7,15,22,23 初版と同じ(すべて教主)
p3下,6上,p9上,下 初版と同じ(すべて教主)
p9,15,21,22 (教主と教祖が混在している)

教祖
教主
副教主
教祖」「副教祖
副教祖
教祖館

p364上,366上 校定版と同じ(教主と教祖が混在)
p9,15,21 初版と同じ(すべて教主)
初版と同じ(すべて教主)(2020/5/19までは教主と教祖が混在)
p25,28(第2章) (教主と教祖が混在している)

教主館の玄関口まで帰つて来たところへ、(略)終つて教祖館に於て、慰労の祝宴を開いた。

p24,27 初版と同じ(教主と教祖が混在)
p9下,10下 初版と同じ(教主と教祖が混在)
p23,25 (すべて教祖)

教祖館の玄関口まで帰つて来たところへ、(略)終つて教祖館において慰労の祝宴を開いた。

p368下,369下 校定版と同じ(すべて教祖)
p22,24 初版と同じ(教主と教祖が混在)
初版と同じ(教主と教祖が混在)

p375上 万公『自分のみ二世の妻よと思ひし
p39 万公『自分のみ二世の妻よと思ひし
愛世版と同じ
p376下 高姫の尻、黒姫の尻に、
p44 高姫の尻、黒姫の尻に、
愛世版と同じ
p376下 夕のお神酒、
p44 夕のお神酒
愛世版と同じ
p377上 今日一遍でもよいから、
p45 今日一遍よいから、
愛世版と同じ
p64(第3章) リントウビテン大臣(だいじん)の生宮が承知致さぬ』
p54 リントウビテン大神(おほかみ)の生宮が承知いたさぬ』
p379下 校定版と同じ
p52 初版と同じ
【重大】初版と同じ(大臣/大神の相違は他にも多数あり)
p385上 たがやし大神杵築姫
p69 たがやし大臣杵築姫
愛世版と同じ
p391上 リントウビテン大神
p88 リントウビテン大臣
愛世版と同じ
p405上 にも譬へむものもなき
p126 譬へむものもなき
愛世版と同じ
p170(第10章) 一文生中(いちもんきなか)恵まない
p143 一文半銭(いちもんきなか)恵まない
p408上 校定版と同じ
p137 初版と同じ
初版と同じ(2020/5/19までは校定版と同じ)
第11章 アク公さまが演台に 登るや否や小北山 変化神社の種あかし 怯めず臆せず滔々と 数多の信者の目の前で 喋り立てたが仇となり 上を下へと大騒動 乱痴気騒ぎが始まりて 五六七成就の生宮と 自ら信じ人も亦 許して居たる竹公が 獅子奮迅の勢で 攻めかけ来(きた)るアク公が タクを犠牲に立てながら 敏くも其場を立ち出づる
p180 攻めかけ来るアク公が (「を」が有る)
p177 攻めかけ来るアク公が (「を」無し)
p152 攻めかけ来たるアク公が (「を」無し)
p145 攻めかけ来るアク公が (「を」無し)
初版と同じく「を」有り(2023/3/14までは「を」無しだったが修正した) これは万公の歌であり、第3章~第4章の情景を歌っている。その実際のドラマは「竹公が~攻めかけて来たのを、アクがタクを犠牲にして逃げた」のであり、「アクが攻めかけて来た」のではない。従って「を」が有る方が意味的には正しくなる。三版以降、何故か「を」が無くなっている。
p462下 サツパリと四千円耳を揃へて、ここへワン出せばよし、
p290 サツパリと四千円耳を揃へて此処へツン出せばよし、
愛世版と同じ
p463上 この方に渡せば決してその方の会計に
p292 此方に渡せばとて決して其方の会計に
愛世版と同じ
p364(第23章) 心の餓辛(がしん)では
p308 心の餓死(がしん)では (「がしん」は「がし」の転訛)
p463上 校定版と同じ
p292 初版と同じ
初版と同じ

地方によっては方言で「餓辛(がしん)」と書く場合もあるようだ。例:土田吉左衛門『飛騨のことば』p215(Googleブックス