21,339
回編集
差分
Jump to navigation
Jump to search
琉球
,→琉球の国魂石
昭和3年(1928年)1月の琉球巡教の時、王仁三郎は昭和2年12月31日に那覇港に上陸し、昭和3年の元日は沖縄支部で迎え、午前10時過ぎに、波の上神社に正式参拝した<ref>[[岩田久太郎]]「聖師様琉球大島御旅行記」、『[[真如能光]]』昭和3年1月15日号収録、p134:「午前十時過人車を列ねて波の上神社に参拝す。(略)元旦に正式参拝をされしも偶然に非ざるべし」</ref>。
随行した[[山川日出子]]によると<ref>山川日出子「琉球国魂神の霊石」、『[[おほも]]と[[おほもと]]』昭和47年(1972年)5月号収録、『[[愛善世界]]』平成24年(2012年)5月号p46-49に転載</ref>、王仁三郎は両手に小石を乗せ、しきりに息吹をかけ、それを無言のまま山川に手渡したという<ref>岩田「聖師様琉球大島御旅行記」にも「(聖師様は)社内の小石を戴いて帰らる」と記されている。</ref>。
山川はそれの意味も尋ねずに、大切なものとして錦の袋に入れて持っていた。亀岡で奉仕していたが、第二次大本事件により夫の生家がある鳥取に帰る。警察に大本関係の物を押収されたが、王仁三郎から渡された二個の石はタンスの底に隠していたため警察に持って行かれずに済んだ。やがて山川は原因不明の病気にかかる。夫も困り果て、吉野の修験者にみてもらうと、「お宅の奥さんは二個の宝物を持っていられる。それを祭ればすぐ治る」と言われた。修験者は滝に打たれて「[[豊玉姫]]」と神名を告げ、「因縁によって祭ってくれ」ということなので、山川は二個の石をお宮に入れて祭った。すると病は治り元気になった。