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上田正昭
,編集の要約なし
* [[出口栄二]]とは昭和24年(1949年)頃から、学友として親交があった。<ref>『[[出口栄二選集]]』月報1 上田正昭「華甲再生」p4「著者とは一九四九(昭和二十四)年のころから、学友としての親交をつづけてきた」</ref>
* 上田正昭は[[王仁三郎]]との会話を回顧して次のように語っている。「僕がまだ中学の二年生頃に穴太の小幡神社(亀岡市)へ行ったんです」「聖師は勉強したらアカンというのです。〝勉強なんかしたらアカン、お前は勉強したらな、穴太を飛び出して行く〟というんですわ。ではどうするかと聞くとね、〝村の役場でも勤めたらええわ〟と、こういう無責任なことをいう。僕は抵抗しとったんですけどね。〝僕は学問やる〟言ったら、〝そりゃしゃあないな〟というようなことだったけどもね。しかし、王仁三郎が言いたかったことがわかるような気もします」<ref>『[[出口栄二選集]] 第三巻』p143(出口栄二、上田正昭、梅原猛の3人による鼎談)</ref>
* 『[[大本七十年史]]』の編纂に編集参与として参画した。それは「私の生涯にとって忘れることのできない仕事」だったと回顧している。<ref>『アジアのなかの日本再発見』122頁</ref>
* 平成28年(2016年)3月13日、亀岡の自宅で<ref name="gendainoronri" />帰幽。88歳。