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雑誌記事一覧
,→大正
* [[沢田撫松]]「事実に依って断案を下せる大本教の批判」、『新小説』大正9年(1920年)11月号、p38、春陽堂、{{obn|2006}}
* [[北野博美]]「大本教を信ずる女」、『女の世界』大正9年(1920年)11月号、p100、{{obn|2007}}
* 『[[変態心理]]』第6巻第6号(大正9年(1920年)12月号)大本教追撃号、主幹・[[中村古峡]]、発行・日本精神医学会
** 662頁:一記者「宮飼氏の一文を発展するに就いて」
** 673頁:[[宮飼陶羊]]<ref>[[宮飼陶羊]]は『[[神霊界]]』大正6年(1917年)4月号~9月号に連載された「桑の葉の茂る頃」の著者・[[宮飼慶之]]と同一人物のようである。</ref>「余が綾部生活の二年」
** 725頁:浅羽由三郎「大本教に欺かれた告白」
** 730頁:「大本教の解剖と西園寺陶庵公」
** 731頁:高野正明「出口王仁さんと僕」
** 738頁:白楊生「ペンのしづく ──本誌大本教論の無責任なる受売と沢田撫松氏の愚論」
** 740頁:真眼生「大正日々新聞を笑ふ ──中村主幹に代りて浅野文学士に与ふ」
** 756頁:一記者「お筆先の偽文を草案した人」
* [[今村力三郎]]「大本教の不敬事件と当局者の責任」、『中央公論』大正10年(1921年)6月号、p47~50、中央公論社、{{digimeta|10232073}}、{{obn|2009}}、{{obc|Z9011|霊界物語ネット}}
* [[吉野作造]]「大本教神殿の取毀ち」、『中央公論』大正10年(1921年)11月号、p180-181、中央公論社、{{digimeta|10232079}}、{{obn|2222}}
== 昭和(19年まで) ==
* SKP(特派記者)「綾部探訪記 怪教大本の正体」『実業時代』昭和2年(1927年)11月号(第4巻第11号)、p112-120、実業時代社、{{obn|2228}}、{{Ndldl|1541155/1/74|}}
* [[那須皓]]「牧歌のいななき」(二 大本教主の片影)、『経済往来』昭和3年(1928年)10月号〔3巻10号〕、p273~283、経済往来社、{{obn|2010}}
* [[中河与一]]「アジアの嵐 後日譚」、『新潮』昭和6年(1931年)1月号、頁未確認、新潮社、{{obn|2230}} ──中河与一(小説家、歌人)が出口王仁三郎と会った時にソ連映画「アジアの嵐」(日本で昭和5年に公開)を見たかと聞いたら、王仁三郎は、あれは自分の入蒙をヒントにしたのだという意味のことを答えた。当時、王仁三郎が主人公だと噂されていたらしい(『巨人出口王仁三郎』317~8頁)。** [[出口王仁三郎]]『[[更生日記]] 一の巻』(昭和6年4月)214~215頁に転載、{{ndldl|1137507/1/121}}** [[中河与一]]『偶然と文学』(昭和10年11月)341~342頁に転載、{{ndldl|1232758/1/175}}* [[大宅壮一]]「出口王仁三郎訪問記」、『文学時代』昭和6年(1931年)1月号、p46、新潮社、「出口王仁三郎訪問記」、『文学時代』昭和6年(1931年)10月号、p46、新潮社、{{obn|2011}}──{{pid|2967335/1/115|大宅壮一選集 第11(宗教・皇室)}}p.219、『[[昭和青年]]』昭和6年(1931年)12月号pp.47-52に西村保男の筆による「出口王仁三郎と大宅壮一の問答」という記事がある。
* [[宇佐美武吉]]「[[日本言霊学概論]]」、『日本及日本人』昭和7年(1932年)1月号、{{obn|2196}}
* [[金王志武哉]]「大本教団天恩郷秘記」、『人の噂』昭和7年(1932年)5月号、p128、月旦社、{{obn|2012}}
* [[石井純一]]「宗教界トピック集 王仁三郎亡き後の愛善苑──衣替えした大本教颯爽再建への発足」、『ヒロバ』昭和23年(1948年)8月号〔3巻7号(7.1発行)〕、p12~14、大地社、{{obn|2033}}
* 「世界平和と人類愛善運動」、『東北公論』昭和23年(1948年)9月20日号〔1巻8号〕、p7~12、東北公論社、{{obn|2034}}
* いちゐのや([[加藤義一郎]]のペンネーム)「耀盌顕現」、『日本美術工芸』昭和24年(1949年)3月号、51頁(3段組の最下段だけの短い記事)、日本美術工芸社、{{obn|2231}}、{{ndldl|2281577/1/28}}
* 「愛善苑」、『創作』昭和24年(1949年)5月1日号〔36巻5号〕、p5、創作社、{{obn|2035}}
* 「大本教改め愛善苑」、『真相(特集版)』昭和24年(1949年)7月15日号、p21、人民社、{{obn|2036}}
* [[加藤義一郎]]「ちゃわん抄七 耀盌『天国廿八』─出口王仁師手造茶盌─」、『日本美術工芸』昭和24年(1949年)8月号、23~28頁、日本美術工芸社、{{obn|2232}}、{{ndldl|2281582/1/14}}
* 「愛善苑」、『宗教時報』昭和24年(1949年)8月1日号〔3巻6号(7~8月号)〕、p18~22、宗教時報社、{{obn|2037}}
* 「新興宗教をさぐる──愛善苑の巻」、『村の太陽』昭和24年(1949年)10月1日号〔創刊号〕、p24、全国新聞情報農業組合連合会、{{obn|2038}}
* 「グラビア 三五教の世直し行事 神々の戯れ」、『サンデー毎日』昭和30年(1955年)5月8日号、毎日新聞社、{{obn|2047}}
* [[大宅壮一]]「怪僧・出口王仁三郎」、『文芸春秋臨時増刊風雲人物読本』昭和30年(1955年)6月5日号〔33巻12号〕、p20、文芸春秋社、{{obn|2048}}
* [[青地晨]]「大本教弾圧事件」、『知性』昭和31年(1956年)〔3巻10号〕、知性社、「大本教弾圧事件」、『知性』昭和31年(1956年)9月号〔3巻10号〕、知性社、{{obn|2049}} →単行本『[[現代史の曲り角]]』に収録
* [[山科小四郎]]「大本教事件」、『サンデー毎日臨時増刊』昭和32年(1957年)2月号、p78、毎日新聞社、{{obn|2050}}
* 「「福は内、鬼も内」綾部大本教の節分大祭」、『アサヒグラフ』昭和32年(1957年)2月24日号、p20、朝日新聞社、{{obn|2051}}
== 昭和(40年~55年) ==
* [[大宅壮一]]「出口王仁三郎と大本弾圧事件」、『中央公論』昭和40年(1965年)4月号〔80巻4号〕、p429、中央公論社、{{obn|2066}}
* [[勝本清一郎]]「こころの遠近 大本教と精神医学」、『朝日ジャーナル』昭和40年(1965年)6月6日号〔7巻23号〕、p59、朝日新聞社、{{obn|2067}} →随筆集『[[こころの遠近]]』に収録
* [[加藤秀俊]]「グラビア 昭和史の瞬間 社会不安の反映、大本教」、『朝日ジャーナル』昭和40年(1965年)6月27日号〔7巻26号〕、p94、朝日新聞社、{{obn|2068}}
* [[上田正昭]]「近代宗教としての大本教」、『思想の科学』昭和40年(1965年)9月号〔通号42号〕、p29-36、思想の科学社、{{obn|2069}}
* [[有竹修二]]「城南閑話 官僚百態「大本教」のこと 明治百年史の一断面」、『国民サロン』昭和44年(1969年)2月号、p51、国際政経調査会、{{obn|2076}}
* [[谷川徹三]]・他「(座談会)出口直日陶芸展をめぐって」、『三彩』昭和44年(1969年)3月号〔通号241号〕、p60~74、三彩社、{{obn|2077}}
* [[高須令三]]「怪物・出口王仁三郎─その予言と警告─」、『経済往来』昭和45年(1970年)2月号、p228-242、経済往来社、{{obn|2226}}、(肩書きは「評論家」だが愛知主会幹部で医博の高須令三 →『[[明星記]]』参照)
* [[出口栄二]]「今日に生きる大本の「筆先」」、『中央公論臨時増刊日本の宗教』昭和46年(1971年)7月号〔86巻10号〕、p278~293、中央公論社、{{obn|2078}}
* [[出口京太郎]]「ブラジル・ハリ・キュウ旅行」、『季刊人類学』昭和46年(1971年)7月号〔2巻3号〕、p192~230、京都大学人類学研究会、{{obn|2079}}
* [[出口栄二]]「理論の折り目をつけよう」、『朝日ジャーナル』昭和50年(1975年)10月3日号〔17巻43号〕、p22、朝日新聞社、{{obn|2099}}
* 「グラビア 現代日本の宗教 各宗派本山・本部 大本教」、『週刊読売』昭和50年(1975年)11月22日号巻頭、読売新聞社、{{obn|2100}}
* 長尾和郎(評論家)「出口王仁三郎と世直し思想」(連載12 昭和人物史評伝)、『経済往来』昭和51年(1976年)3月号、230~241頁、{{obn|2229}}
* [[飯田良一]]「宗教弾圧の構造と論理 第二次大本教弾圧から宗教統制体制の確立まで」、『伝統と現代』昭和51年(1976年)9月号、p86、伝統と現代社、{{obn|2101}}
* 「出口王仁三郎の娘陶芸家・尚江さんの生涯」、『週刊新潮』昭和52年(1977年)8月18日号、p117、新潮社、{{obn|2102}}
== 昭和(56年以降) ==
* [[丸山照雄]]「出口王仁三郎──皇権超克の精神と「大本弾圧」」、『現代の眼』昭和56年(1981年)1月号〔22巻1号〕、p222、現代評論社、{{obn|2114}}、{{ndldl|1771613/1/113}}
* [[梅原正紀]]「“大本教内紛”の真相」、『人と日本』昭和56年(1981年)2月号、p96、行政通信社、{{obn|2115}}
* [[有賀龍太]]「スメラミコト出口王仁三郎」、『天皇制研究』第3号=昭和56年(1981年)2月号、p20、JCA出版、{{bib|000000034339}}、{{obn|2225}}
* [[石川明保]]「迫りくる終末予言に対抗する日本の霊法集団7 日月神示 日本にもあった世界的予言とは…」、『ゼンボウ』昭和62年(1987年)12月号、p94、全貌社、{{obn|2141}}
* 「インサイド 新興宗教の老舗「大本教」分裂に見る神々の黄昏」、『週刊サンケイ』昭和63年(1988年)3月3日号、p19、扶桑社、{{obn|2142}}
* 「「教主VS娘むこ」に信者17万人オロオロ 名門宗教「大本教」で「骨肉の争い」」、『FRIDAY』昭和63年(1988年)3月4日号、p14、講談社、「「教主VS娘むこ」に信者17万人オロオロ 名門宗教「大本教」で「骨肉の争い」」、『FRIDAY』昭和63年(1988年)3月4日号、p14-15、講談社、{{obn|2143}}
* 「新興宗教・教祖を悩ます「生臭い暗闘」ついに分裂した名門教団骨肉のゆずらぬ「正統」争い」、『アサヒ芸能』昭和63年(1988年)4月21日号、p121、徳間書店、{{obn|2144}}
* [[野田晴巳]]「未来帝国・満州の興亡 亜細亜の黙示録 出口王仁三郎満蒙行の謎」、『月ノ光』昭和63年(1988年)6月1日号、p21、東京デガド社、{{obn|2145}}
* [[井上順孝]]「新宗教の解読8 病のアナロジー」、『正論』平成4年(1992年)6月号、p306、産業経済新聞社、{{obn|2162}}
* [[デ二ス・バッド・グレイ]]「グラビア べトナムの新宗教 カオダイ、ただいま信者300万」、『宝石』平成4年(1992年)8月号、p33~41、光文社、{{obn|2163}}
* [[鎌田東二]]「評論 大本霊学と内部生命論」『文芸』第31巻第3号、平成4年(1992年)8月、p296~302、河出書房新社、{{obn|2227}}
* 出口和明「連載 出口王仁三郎 宇宙観講座」『合気ニュース』、平成5年(1993年)~平成7年(1995年)〔95号~100号、102号~106号〕、合気ニュース、{{obn|2194}}
* [[松本健一]]「書評 日本がわかる100冊 近代日本の「知の遺産」大本教の教祖が説く本 出口王仁三郎「神と倶にある人」天声社」、『月刊ASAHI』平成5年(1993年)1月号、p270、朝日新聞社、{{obn|2164}}