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八人乙女
,→主なエピソード(共通)
<ref name="rm2503_fune">{{rm|25|3|鶍の恋}}:宇豆姫の歌「五十子の姫や梅子姫 今子の姫と諸共に 波斯の国原彼方此方と 教を伝ふ折柄に '''バラモン教の宣伝使 片彦釘彦其外の 枉の司に捕へられ 棚無小舟に乗せられて''' 荒波猛る海原に 押流されし恐ろしさ」</ref>
<ref name="rm3001_fune">{{rm|30|1|主従二人}}:地の文「八人乙女は各自に 八洲の国に蟠まる 八岐の大蛇の醜魂を 言向け和し天の下 百の災払はむと 各侍女を伴ひて 波斯の国をば振出しに 宣伝せむと進む折 '''バラモン教の残党に''' 取押へられ別々に '''棚無し舟に乗せられて''' 海原遠く流されぬ 八人乙女の末の子と 生れましたる末子姫 尊き生命を捨小舟 波に浮びて捨子姫 主人の君を慰めつ 甲斐々々しくも艪をとりて 大西洋の中央に 散在したる大島や 小島の間をくぐりつつ 波のまにまにテルの国 ハラの港に上陸し」</ref>
<ref>{{rm|33|5|神寿言}}:[[捨子姫]]の歌「鬼雲彦が部下共に 嗅ぎつけられて妾まで 半朽ちたる釣舟に 乗せてすげなく和田の原 つき放されし苦しさよ」</ref>
<ref name="rm3601_fune">{{rm|36|1|二教対立}}:地の文「神素盞嗚大神の八人乙女の第七の娘、君子姫は侍女の清子姫と共にバラモン教の本山メソポタミヤの顕恩城を後にして、フサの国にて三五教の宣伝に従事せむとする折しも、'''バラモン教の釘彦の一派'''に捉へられ、姉妹五人は何れも'''半破れし舟に乗せられて'''波のまにまに放逐されたのである。君子姫は侍女と共に激浪怒濤を渡り、漸くにしてシロの島のドンドラ岬に漂着し」</ref>