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出口和明
,→略歴
'''出口和明'''(でぐち やすあき)(1930-2002年)は、[[出口宇知麿出口王仁三郎]]・の孫。[[八重野出口宇知麿]]夫妻の長男。・[[王仁三郎八重野]]の孫。作家として「野上竜(のがみ 夫妻の長男。作家として「野上竜(のがみ りゅう)」「十和田龍(とわだ りゅう)」というペンネームがある。
妻は[[出口禮子]]。5人の子供がいる。
* 昭和5年(1930年)8月15日(旧閏6月21日)生まれ。
* 昭和27年(1952年)早稲田大学文学部露文科に入学。演劇に熱中し5年で中退。
* 人類愛善新聞記者、飲食店経営などを経て、名古屋の椙山女学園大学食堂主任。[[人類愛善新聞]]記者、飲食店経営などを経て、名古屋の椙山女学園大学食堂主任。
* 『[[おほもと]]』昭和35年(1960年)12月号から小説「知恵の墓」の連載を開始。37年1月号まで全14回。挿絵は「福田羚」(妻・[[出口禮子]]のペンネーム)。
* 昭和38年(1963年)、ペンネーム「野上竜」で書いた『凶徒』という小説で、第2回オール読物推理小説新人賞(文藝春秋社)を受賞。『オール読物』9月号で発表される。<ref>このとき西村京太郎が『歪んだ朝』で同時入賞している。</ref>
* 昭和43年(1968年)機関誌『[[おほもと]]』誌上に『[[大地の母]]』の連載を開始する。やがて大本本部の方針に疑問を持つようになり教団改革運動を起こす。これが後に「[[第三次大本事件]]」と呼ばれるようになる。
* 昭和55年(1980年)3月、株式会社[[いづとみづの会]]を有志らと設立。機関誌『[[いづとみづ]]』を発行して改革を訴える。』を発行して教団改革を訴える。
* 昭和57年(1982年)2月、宣伝使を解任される。同年4月、[[出口昭弘]]、[[坂田三郎]]と共に教団を相手取り地位確認訴訟を起こす。(昭和63年9月に訴訟取り下げ)
* 昭和61年(1986年)11月、有志らと[[愛善苑]]を設立。
「数万年湖底に潜みし神霊のまさに世に出る時は来にけり\湖の主も生言霊に解脱して弥勒の神代に仕え奉らん\吾待ちし神の歓び祝せんと天地一度に轟き渡れり\人の子と生まれ出でたるひと粒の種に花咲く時は近めり\凡人の眼には見えねど神の代の経綸は探し十和田の湖\その昔変性男子の男装坊変性女子を待てる十和田湖\湖の主も今日を境に天かけり弥勒の柱とやがて生れなん\時ならぬ雷鳴轟き地は震りて龍神天に昇る今日かな」『[[東北日記]]』六巻
その二年後の昭和五年八月一五日私が生まれた。王仁三郎は筆をとって、『月鏡』に十和田湖の龍神伝説を書きおろし、「十和田湖の伝説は各方面に点在してすこぶる範囲は広いが、自分はすべての伝説にかかわらないで神界の秘庫を開いて、ここに忌憚なく発表する」と述べる。|出口和明『第三次大本事件の真相』166頁出口和明『[[第三次大本事件の真相]]』166頁}}
{{Inyou|
== 主な著書 ==
* [[智恵の墓]]:昭和35年(1960年)12月~昭和37年(1962年)1月。『[[おほもと]]』誌に連載された。小説。単行本化はされていない。
* 凶徒:昭和38年(1963年)、第2回オール読物推理小説新人賞を受賞。『オール読物』9月号で発表。単行本化はされていない。<ref>参考:<wp>オール讀物推理小説新人賞</wp>、[https://prizesworld.com/prizes/mystery/alsr.htm オール讀物推理小説新人賞 受賞作・候補作一覧 第1回~第46回] - 文学賞の世界</ref>
* [[大地の母]]:昭和44年(1969年)9月~、[[毎日新聞社]]など。4つのバージョンがある。
* [[出口なお王仁三郎の予言・確言]]:昭和53年(1978年)9月、[[光書房]]。
== 外部リンク ==
* <wp>出口和明</wp>
* <wp>出口宇知麿</wp>
* <wp>出口汪</wp>
* <wp>出口恒</wp>