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耀盌
,→斎入
谷前たちは月明館の茶の間で、王仁三郎とともに斎入の茶碗でお茶を頂いた。粒々はなめらかであり、口に含んだ感触も味じわいも深く、そのまろやかさに感動した。谷前には一回きりの体験であった。
(略)
昭和五年(一九三〇)二月二十一日、東京の上野美術館で王仁三郎の作品展があったとき、一つずつ別部屋に短冊・色紙・焼き物と分けて展示した。会場の第九室に斎入一号の「朝空」、二号「朝みどり」それに「海の華」など、緑色の深い輝きが実に美しかった。聖師も二代澄も梅田きみ子宅を宿として見に来る。会期は七日ぐらい続いた。|(出口和明が禮子の取材メモに基づいて記したもの)<ref>出口和明「落胤問題を実証する 八」</ref>出口和明「落胤問題を実証する 八」、出口和明が禮子の取材メモに基づいて記したもの}}
[[井上留五郎]]は『[[暁の烏]]』の中で次のように記している。「聖師様は本年二月より亀岡天恩郷において陶器楽焼(真如楽焼と称されている)をお始めになり、茶碗、盃などを沢山造られつつありますが、楽焼の代表者とされておる齋入と云う名工が、今より約五百年前初めて焼き出した一種の硬度結晶即ち齋入焼と云う天下の珍品が続々焼き出されて来たので、専門家を驚倒せしめ、今や斯界の問題となりております。そして聖師御作の茶碗または盃にて茶、水などをいただくと、病気が治ったり酒癖が直ったりする顕著なる実例が随所に頻発しております」。<ref>』の中で次のように記している。 {{inyou| また聖師様は本年二月より亀岡天恩郷において陶器楽焼(真如楽焼と称されている)をお始めになり、茶碗、盃などを沢山造られつつありますが、楽焼の代表者とされておる齋入と云う名工が、今より約五百年前初めて焼き出した一種の硬度結晶即ち齋入焼と云う天下の珍品が続々焼き出されて来たので、専門家を驚倒せしめ、今や斯界の問題となりております。そして聖師御作の茶碗または盃にて茶、水などをいただくと、病気が治ったり酒癖が直ったりする顕著なる実例が随所に頻発しております。|井上留五郎『暁の烏』(大正14年、天声社)「{{obc|B116500c084|(四)瑞月聖師の肉筆(書画)について}}」p128-129</ref>}}
== 関連書籍 ==