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大正13年(1924年)2月に蒙古へ向けて旅立ち、7月に帰国、入監し、保釈されて帰綾したのは11月
第62巻…『真如能光』大正15年(1926年)1月5日号「綾部だより」p46の12月31日の項に「霊界物語第六十二巻(山河草木丑の巻)出来」と記されている。※1 第62巻…『真如能光』大正15年(1926年)1月5日号「綾部だより」p46の12月31日の項に「霊界物語第六十二巻(山河草木丑の巻)出来」と記されている。<br>第65巻…『真如能光』大正15年(1926年)3月15日号「綾部だより」p48の3月9日の項に「霊界物語第二巻は目下再版中である、尚六十五巻も発行される事になりいづれも春季大祭(新四月十四日)迄には出来る予定です」と記されている。※2 第64巻(現・第64巻上)…奥付は第61巻と同じく大正14年10月16日だが、『霊界物語資料篇』p307には大正13年4月5日発行と書いてある。<br>第70巻…『真如能光』昭和3年(1928年)4月25日号「綾部だより」p31の4月17日の項に「霊界物語山河草木酉の巻(第七十巻)出来、納本す」と記されている。※3 第65巻…奥付は大正15年4月14日だが、『霊界物語資料篇』p316には大正13年4月5日発行と書いてある。しかし『真如能光』大正15年(1926年)3月15日号「綾部だより」p48の3月9日の項に「霊界物語第二巻は目下再版中である、尚六十五巻も発行される事になりいづれも春季大祭(新四月十四日)迄には出来る予定です」と記されているので、『霊界物語資料篇』の記述は誤記である。<br>※4 第70巻…『真如能光』昭和3年(1928年)4月25日号「綾部だより」p31の4月17日の項に「霊界物語山河草木酉の巻(第七十巻)出来、納本す」と記されている。<br>※5 1月から12月まで長期間空いているが、蒙古に行ったためである。大正13年(1924年)2月に蒙古へ向けて旅立ち、7月に帰国、入監し、保釈されて帰綾したのは11月。
霊界物語
,→巻番号の変動
| 大正12年5月 || 第61巻 → || 第61巻(子) || ②大正14年10月16日 || 第61巻
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| 大正12年5月 || 第62巻 → || 第62巻(丑) || ④大正15年1月(奥付は大正14年10月16日) ④大正15年1月(奥付は大正14年10月16日)[※1] || 第62巻
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| 大正12年5月 || 第63巻 → || 第63巻(寅) || ⑤大正15年2月 || 第63巻
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| 大正12年7月 || 第64巻 → || 第64巻(卯) || ②(奥付は大正14年10月16日)<大正13年4月> ②大正14年10月16日[※2] || 第64巻上
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| 大正12年7月 || 第65巻 → || 第65巻(辰) || ⑥(奥付は大正15年4月)<大正13年4月> ⑥大正15年4月[※3] || 第65巻
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| 大正13年1月 大正13年1月[※5] || 第66巻 → || 第69巻(申) || ⑩昭和2年10月 || 第69巻
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| 大正13年12月 || 第67巻 → || 王仁蒙古入記 || ①大正14年2月 || -
| 大正14年8月19~21日 || 第71巻 → || 第71巻(戌) || ③大正14年11月7日【発禁】 || 第64巻下
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| 大正14年8月23~25日 || 第72巻 → || 第70巻(酉) || ⑪昭和3年4月(奥付は大正14年10月16日) ⑪昭和3年4月(奥付は大正14年10月16日)[※4] || 第70巻
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| 大正14年11月7日~15年2月 || 第73巻 → || 第71巻(戌) || ⑫昭和4年2月 || 第71巻
|}
現・第64巻下は旧・第71巻として出版されたが発禁処分(11月6日<ref>11月6日午後2時に発行禁止と差押の命令が来る。(『真如能光』第1号p86の告示、第2号p30による)</ref>)となり、次の日には新たな第71巻(口述時は第73巻)の口述が開始された。)となる<ref>次の日には新たな第71巻となる第73巻の口述が開始されている。</ref>。
=== 通巻章番号の変動 ===