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梅松苑
,→造営
[[王仁三郎]]は明治38年頃から綾部を出て、神社や他の教会で働いたり、大本の宣教活動をしていたが、明治41年12月に[[帰綾]]して教団づくりに専念し出す。<ref>『大本七十年史 上巻』「{{obc|B195401c2112|王仁三郎の帰綾}}」</ref>
41年6月に「雑のお宮でよいから早くしてもらいたい」とお宮造りを急がす[[筆先]]が出たため、竜門館の隣接地360坪を買い入れ、同年7月1日に地鎮祭を行う。12月に王仁三郎が帰綾してからにわかに広前が活気づき、手狭になったので、神殿建築の話が持ち上がり、明治42年(1909年)旧1月に神殿新築が決定され、11月22日に落成式と遷宮式が行われた。<ref>『大本七十年史 上巻』「{{obc|B195401c2114|造営と宣教}}」</ref> <ref name="oomoto_nanpyo">「大本年表」</ref> (この綾部の最初の神殿は、後に[[統務閣]]や[[金竜殿]]が建設されると「[[旧本殿]]」と呼ばれるようになる)
この神殿の建設を皮切りに、次々と近隣の土地を買収し、綾部の神苑が造営されて行く。