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{{Otheruses|ビクトル山の頂上にある玉の宮|その他|玉の宮 (曖昧さ回避)}}
'''玉の宮'''(たまのみや)は、[[霊界物語]]に登場する宮。[[ビクトル山]]の頂上にある。
== 概要 ==
* 初出:{{rm|54|19|流調}}
* 桧皮葺きの立派な社殿。<ref>{{rm|54|18|真信}}:「ビクトル山の頂上に檜皮葺の立派な社殿が落成し」</ref>
* 「[[神王の宮]]」([[ビクトル山]]の[[神王の森 (ビクトル山)|神王の森]]にある[[盤古神王]]を祭る祠)を建て替えたものなのか、その近くに造ったのか、それとも全く別の場所に造ったのかは定かでない。
== 主なエピソード ==
=== 建立の経緯 ===
* {{rm|53|23|純潔}}で刹帝利([[ビクトリア王]])を始め城内一同が(元は[[ウラル教]]だったが)[[三五教]]に帰順し、神殿を造ることになった。<ref>{{rm|53|23|純潔}}:「これより[[治国別]]初め、万公、松彦、竜彦は、刹帝利の懇情により、三五の教理や儀式を城内の重役その他に教導し、'''神殿や教殿を新に創立し'''」</ref>
* {{rm|54|5|万違}}で、神殿が建築中だということが記されている。<ref>{{rm|54|5|万違}}:「治国別は竜彦、松彦を伴ひ、'''ビクトル山の神殿建築の模様'''を見むとて、監督がてら出て行つた後である」「」</ref>
* {{rm|54|10|万亀柱}}で、9割完成したことが歌われている。<ref>{{rm|54|10|万亀柱}}:「三五教の御教を 完全に委曲に相伝へ 皇大神の御舎を ビクトル山の頂上に 岩切り砕き土を掘り 上つ岩根に搗きこらし 底つ岩根に搗き固め 大宮柱太知りて 今は漸く'''九分通り 竣工したるぞ'''嬉しけれ」</ref>
* {{rm|54|18|真信}}で落成した<ref>{{rm|54|18|真信}}:「ビクトル山の頂上に檜皮葺の立派な社殿が落成し[[大国常立尊]]を初め奉り、天照皇大御神、神伊邪那岐大神、神伊邪那美大神、神素盞嗚大神、豊国姫大神、稚桜姫大神、木花姫大神、日の出神を初め、[[盤古神王]]を別殿に祭り、荘厳なる祭典の式は無事終了された」</ref>。[[タルマン]]が宮司となった<ref>{{rm|54|19|流調}}:「タルマンは前ウラル教の宣伝使たりしが、此度治国別の弟子となり、三五教の御教や儀式を教へられ、宮司となつて長く仕へ、王家を初め国家の安泰を祈るべき職掌となつた。タルマンは宮司として祝意を表すべく立ち上り謡ひ始めた」</ref>。
=== 完成後 ===
* ビクトル山の神殿(玉の宮)に王を始め一同は初詣りをすると、[[竜彦]]に[[木花姫命]]が神懸かり、[[治国別]]に対して「一刻も早く[[猪倉山]]へ行き、[[道晴別]]を救え」と命じる。〔{{rm|54|21|鼻向}}〕
* [[万公]]と[[スガール姫]]が玉の宮を参拝すると、[[隆靖彦]]、[[隆光彦]]という二人のエンゼルが現れて、「刹帝利は[[ベルツ]]、[[シエール]]の怨霊に悩まされているから助けに行け」と命じられ、城に向かった。〔{{rm|55|20|万面}}~{{rms|55|22|比丘}}〕
* [[治道居士]]、[[道貫居士]]、[[素道居士]]、[[求道居士]]の4人の修験者は、刹帝利の依頼によって玉の宮の守護職となった。そして頭を丸めて三五教を四方に宣伝して回った。頭髪を剃り落として宣伝に回ったのはこの4人が嚆矢である。ビクの国の玉の宮から始まったので、後世、頭を丸めて宣伝する聖者を「比丘」と呼ぶようになった。〔{{rm|55|22|比丘}}〕
== 脚注 ==
<references/>
{{デフォルトソート:たまのみやひくとるさん}}
[[Category:霊界物語の宮]]
'''玉の宮'''(たまのみや)は、[[霊界物語]]に登場する宮。[[ビクトル山]]の頂上にある。
== 概要 ==
* 初出:{{rm|54|19|流調}}
* 桧皮葺きの立派な社殿。<ref>{{rm|54|18|真信}}:「ビクトル山の頂上に檜皮葺の立派な社殿が落成し」</ref>
* 「[[神王の宮]]」([[ビクトル山]]の[[神王の森 (ビクトル山)|神王の森]]にある[[盤古神王]]を祭る祠)を建て替えたものなのか、その近くに造ったのか、それとも全く別の場所に造ったのかは定かでない。
== 主なエピソード ==
=== 建立の経緯 ===
* {{rm|53|23|純潔}}で刹帝利([[ビクトリア王]])を始め城内一同が(元は[[ウラル教]]だったが)[[三五教]]に帰順し、神殿を造ることになった。<ref>{{rm|53|23|純潔}}:「これより[[治国別]]初め、万公、松彦、竜彦は、刹帝利の懇情により、三五の教理や儀式を城内の重役その他に教導し、'''神殿や教殿を新に創立し'''」</ref>
* {{rm|54|5|万違}}で、神殿が建築中だということが記されている。<ref>{{rm|54|5|万違}}:「治国別は竜彦、松彦を伴ひ、'''ビクトル山の神殿建築の模様'''を見むとて、監督がてら出て行つた後である」「」</ref>
* {{rm|54|10|万亀柱}}で、9割完成したことが歌われている。<ref>{{rm|54|10|万亀柱}}:「三五教の御教を 完全に委曲に相伝へ 皇大神の御舎を ビクトル山の頂上に 岩切り砕き土を掘り 上つ岩根に搗きこらし 底つ岩根に搗き固め 大宮柱太知りて 今は漸く'''九分通り 竣工したるぞ'''嬉しけれ」</ref>
* {{rm|54|18|真信}}で落成した<ref>{{rm|54|18|真信}}:「ビクトル山の頂上に檜皮葺の立派な社殿が落成し[[大国常立尊]]を初め奉り、天照皇大御神、神伊邪那岐大神、神伊邪那美大神、神素盞嗚大神、豊国姫大神、稚桜姫大神、木花姫大神、日の出神を初め、[[盤古神王]]を別殿に祭り、荘厳なる祭典の式は無事終了された」</ref>。[[タルマン]]が宮司となった<ref>{{rm|54|19|流調}}:「タルマンは前ウラル教の宣伝使たりしが、此度治国別の弟子となり、三五教の御教や儀式を教へられ、宮司となつて長く仕へ、王家を初め国家の安泰を祈るべき職掌となつた。タルマンは宮司として祝意を表すべく立ち上り謡ひ始めた」</ref>。
=== 完成後 ===
* ビクトル山の神殿(玉の宮)に王を始め一同は初詣りをすると、[[竜彦]]に[[木花姫命]]が神懸かり、[[治国別]]に対して「一刻も早く[[猪倉山]]へ行き、[[道晴別]]を救え」と命じる。〔{{rm|54|21|鼻向}}〕
* [[万公]]と[[スガール姫]]が玉の宮を参拝すると、[[隆靖彦]]、[[隆光彦]]という二人のエンゼルが現れて、「刹帝利は[[ベルツ]]、[[シエール]]の怨霊に悩まされているから助けに行け」と命じられ、城に向かった。〔{{rm|55|20|万面}}~{{rms|55|22|比丘}}〕
* [[治道居士]]、[[道貫居士]]、[[素道居士]]、[[求道居士]]の4人の修験者は、刹帝利の依頼によって玉の宮の守護職となった。そして頭を丸めて三五教を四方に宣伝して回った。頭髪を剃り落として宣伝に回ったのはこの4人が嚆矢である。ビクの国の玉の宮から始まったので、後世、頭を丸めて宣伝する聖者を「比丘」と呼ぶようになった。〔{{rm|55|22|比丘}}〕
== 脚注 ==
<references/>
{{デフォルトソート:たまのみやひくとるさん}}
[[Category:霊界物語の宮]]