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出雲大神宮

4 バイト除去, 2024年7月21日 (日)
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** 千年山は「御影(みかげ)」山とも呼ばれるが、それは和銅年間に出雲の神霊が「御影」をこの山に発現されたからだと伝えられている。<ref name="pid1040146" /> <ref>永光尚『亀岡百景』</ref>
=== 元出雲 ===
出雲大神宮は「元出雲」という俗称がある。その由来として公式サイトで次のように説明されている。〈『丹波国風土記』によれば、「奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の出雲大社これなり。」と記します。よって当宮に古来より元出雲の信仰があります。〉<ref>「[http://www.izumo-d.org/gosaijin.html 御祭神]」(2024/7/20閲覧)</ref>。つまり当社から出雲に大国主命を遷して杵築大社(現・出雲大社)が創建されたということである。<ref>「丹波国風土記」という文献は存在しない。「丹波国風土記逸文」も存在しない。出雲大神宮の説明における「丹波国風土記」とは具体的に何の文献を指しているのかは不明である。風土記は和銅6年(713年)に元明天皇が各国に編纂を命じたもので、出雲・播磨・肥前・常陸・豊後の5ヶ国の風土記しか現存しない。他の国の風土記は「逸文」として断片的に伝えられている。「逸文」とは後世の文書に引用されている文章である。丹'''後'''国風土記逸文は存在するが、丹'''波'''国風土記逸文は発見されていない。実際には「丹波国風土記」と称する文献がいくつかあるが、地名しか書いてなかったり(多和文庫の丹波国風土記注進)、後世に作られた別書物だったり(池底叢書の丹波国風土記)する。</ref>
王仁三郎は「元出雲」ということに関して何ら言及していない。
=== 国常立尊 ===
御神体山には国常立尊が鎮座するということが一般に知られるようになったのは、戦後のことのようである。戦前の資料にそのことに触れているものは見つからない。

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