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たまほこのひ可里
,→反響・批評
== 反響・批評 ==
[[ファイル:玉鉾の神遺勅の表紙.jpg|200px|thumb|『玉鉾の神遺勅』]]
陰謀論作家として有名な太田龍は、平成10年(1998年)12月に『玉鉾の神遺勅──孝明天皇の遺勅と大本出現の予言』と題する36頁の小冊子を入手した(『たまほこのひ可里』を活字化したもの。発行日・発行者不明。愛善苑関係者が作成したものか?)。太田は平成14年発行の著書『天皇破壊史』<ref>太田龍『天皇破壊史』平成14年(2002年)6月、成甲書房、106~128頁</ref>の中で、〈大本教の宣伝臭味を取り除けば、佐藤紋次郎口伝の大筋は、確かに本物である〉<ref>同書117頁</ref>と評している。太田は、旭形亀太郎や玉鉾神社創建にまつわる部分は真実と認めるが、孝明天皇の遺勅(経綸書)が大本出現を予言していることには否定的であり、仮に孝明天皇の御宸筆が偽造ではなく真実であったとしても〈私は否定する〉<ref>同書116頁</ref>と完全に拒絶している。太田が孝明天皇の遺勅を頑なに否定する理由は、そもそも幕末に「米国」とか「国旗日ノ丸」という言葉は使われていない、つまり時代考証的に偽書だということだけでなく、〈出口王仁三郎は明治以後簇生《そうせい》した西洋かぶれの宣教詐欺師のひとりとしか見ておらず、この種の宣伝は全く信用していない〉<ref>同書109頁</ref>ためである。<ref>平成13年(2001年)3月9日に太田は玉鉾神社を参拝し、三代宮司(旭形光彦)未亡人と、四代宮司(旭形幸彦)に会って話を聞いている。同書126頁。</ref>