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そこへ何処からとも無く苦悶の声が聞えて来た。その方に向つて数歩進んで行つた、その前に当り坊主と|尼《あま》の|身体《からだ》が一つになつて、坊主は頭が下になり足が上になり、尼はその反対に頭が上になり足が下になり、衣服を着ては居るが、何うしても離れ得ないで、上になつたり、下になつたりして苦しんで居る。尚よく見ると、その坊主の|頸《くび》の辺りに御経の本が|付着《ひつつ》いて、それが何うしても離れぬ様子である。余り不思議であるから芙蓉仙人に訊ねて見ると、これは或大寺の坊主と尼とである、二人は毎晩本堂の仏の祭つてある横の室で、いたづら斗り為し、何時も其御経の本を枕代用にして居たものである。それでその罪に依つて、何うしても離れることは出来ず、幽界に於ても懲罰を行けて苦しんで居るのだと告げられた。自分は神界探検の一の功績として救い度いと思ひ芙蓉仙人に御額ひして見た所、仙人は之を許してくれたから、此前探検した時、救ふたやうに『惟神霊幸倍坐世』を二回唱へた。さうすると下になつて居た頭が上に廻つて来て、頭と頭、足と足とが出会つて抱合になり、恰も|蟹《かに》の如く横這ひに歩き出したので、今度はモウ一つ離して見ようと思つて御願ひした所が何うしても御許しにならぬ。その理由を訊ねて見ると、 そこへ何処からとも無く苦悶の声が聞えて来た。その方に向つて数歩進んで行つた、その前に当り坊主と尼《あま》の身体《からだ》が一つになつて、坊主は頭が下になり足が上になり、尼はその反対に頭が上になり足が下になり、衣服を着ては居るが、何うしても離れ得ないで、上になつたり、下になつたりして苦しんで居る。尚よく見ると、その坊主の頸《くび》の辺りに御経の本が付着《ひつつ》いて、それが何うしても離れぬ様子である。余り不思議であるから芙蓉仙人に訊ねて見ると、これは或大寺の坊主と尼とである、二人は毎晩本堂の仏の祭つてある横の室で、いたづら斗り為し、何時も其御経の本を枕代用にして居たものである。それでその罪に依つて、何うしても離れることは出来ず、幽界に於ても懲罰を行けて苦しんで居るのだと告げられた。自分は神界探検の一の功績として救い度いと思ひ芙蓉仙人に御額ひして見た所、仙人は之を許してくれたから、此前探検した時、救ふたやうに『惟神霊幸倍坐世』を二回唱へた。さうすると下になつて居た頭が上に廻つて来て、頭と頭、足と足とが出会つて抱合になり、恰も蟹《かに》の如く横這ひに歩き出したので、今度はモウ一つ離して見ようと思つて御願ひした所が何うしても御許しにならぬ。その理由を訊ねて見ると、
そこでいよいよ神界へ急いで行かうとすると、今度は非常な美人が男の|髷《たぶさ》を握つて居るのが立つて居て、然もその髷の下には肉が付いて居る。而してその女は三十五、六の年輩で憂ひを含んで天の八衢へ出て来た。その女は不思議にも神界の方へ行かうとして、自分の後から随いてくる。その女の名は照姫と称へて、|紺《こん》装束で尼のやうに金剛杖をつき、頭には|被衣《かづき》をかぶつて居る。さうして自分に向つて、モシモシと云ひ乍ら、 そこでいよいよ神界へ急いで行かうとすると、今度は非常な美人が男の髷《たぶさ》を握つて居るのが立つて居て、然もその髷の下には肉が付いて居る。而してその女は三十五、六の年輩で憂ひを含んで天の八衢へ出て来た。その女は不思議にも神界の方へ行かうとして、自分の後から随いてくる。その女の名は照姫と称へて、紺《こん》装束で尼のやうに金剛杖をつき、頭には被衣《かづき》をかぶつて居る。さうして自分に向つて、モシモシと云ひ乍ら、
其処に二人位輝かけられるやうな小さな腰掛石があつたので、自分は一服しようと云つて腰をかけた。その女は遠慮して石の横側に|蹲踞《しやが》んで居る。そこで自分はその女に向つて 其処に二人位輝かけられるやうな小さな腰掛石があつたので、自分は一服しようと云つて腰をかけた。その女は遠慮して石の横側に蹲踞《しやが》んで居る。そこで自分はその女に向つて
「妾の肉体は現界には無いが、これは妾の伜の頭髪で、|夫《それ》に就て物語をさして頂きます」「妾の肉体は現界には無いが、これは妾の伜の頭髪で、夫《それ》に就て物語をさして頂きます」
「自分は少女の時代から早熟で、十六歳の時に十八歳の夫を持ち、殊に夫は美男子で互に愛し愛されて居た。所が不幸にして妾が二十歳の時、夫は国替して了つたのです。幸か不幸か、妾はその時既に妊娠して居つた。夫を葬ひ、月が満ちて子が出生した。その子が如何にも、夫に|生写《いきうつし》であつた。それからこの子を夫の|遺児《かたみ》として、乳を呑まして育てたが、不思議な事には、その子は十五歳になつても乳を離さず又妾もそれをよい事にして、抱いて寝るのを楽しみにして居たが、斯う大きくなつては世間の風聞も悪いから、子供と室を別にして寝ることにした。所がその子は|漸々《だんだん》痩せおとろへ、十七歳の時には、|迚《とて》も見込は無い位に重態となつたので、有らゆる医者にかけ、神仏にも祈願をこめた。されども、何の効能もなかつた。そこへ或名医が来て、これは気欝病であるから、その望みを叶へてやらねば治らぬと言はれたので、色々手を替ヘ品を替ヘて気欝の理由を訊ねて見たが、何とも答へずに容態は益々|凶《わる》くなるばかりであつた。そこで止むを得ず伜の無二の友人に、その由を訊かすことにした。所がその友人に打明けた所を聞くと、意外にも子が母に恋をして居る事が分つたが、斯んな事は有り得べからざる事であるから、自分の前途は唯死あるのみだと言うて泣き伏した。之を聞いて妾は子を愛するの余り、子の思ひを叶へてやらうと決心し、その友人を通じて子供に此旨を伝へた所が、子供は忽ち快方に向ひ、間もなく病床を離れ外出も自由に出来る様になつた。いよいよ子供が十八歳の時、父の命日が済んだその翌日、子供に妾の室に来ることを許した。子供は喜んで妾の寝床に上り、正に肉体に触れんとする一刹那|俄《にわか》に大地が振動し、今ここに握つて居る頭髪を残して、子供は地の底に堕ちて了つた。妾は余りの恐しさに、罪を亡ぼさんとして|世染《せぜん》を断ち神社仏閣を巡拝し、夫と子供との冥福を祈ることにした。」「自分は少女の時代から早熟で、十六歳の時に十八歳の夫を持ち、殊に夫は美男子で互に愛し愛されて居た。所が不幸にして妾が二十歳の時、夫は国替して了つたのです。幸か不幸か、妾はその時既に妊娠して居つた。夫を葬ひ、月が満ちて子が出生した。その子が如何にも、夫に生写《いきうつし》であつた。それからこの子を夫の遺児《かたみ》として、乳を呑まして育てたが、不思議な事には、その子は十五歳になつても乳を離さず又妾もそれをよい事にして、抱いて寝るのを楽しみにして居たが、斯う大きくなつては世間の風聞も悪いから、子供と室を別にして寝ることにした。所がその子は漸々《だんだん》痩せおとろへ、十七歳の時には、迚《とて》も見込は無い位に重態となつたので、有らゆる医者にかけ、神仏にも祈願をこめた。されども、何の効能もなかつた。そこへ或名医が来て、これは気欝病であるから、その望みを叶へてやらねば治らぬと言はれたので、色々手を替ヘ品を替ヘて気欝の理由を訊ねて見たが、何とも答へずに容態は益々凶《わる》くなるばかりであつた。そこで止むを得ず伜の無二の友人に、その由を訊かすことにした。所がその友人に打明けた所を聞くと、意外にも子が母に恋をして居る事が分つたが、斯んな事は有り得べからざる事であるから、自分の前途は唯死あるのみだと言うて泣き伏した。之を聞いて妾は子を愛するの余り、子の思ひを叶へてやらうと決心し、その友人を通じて子供に此旨を伝へた所が、子供は忽ち快方に向ひ、間もなく病床を離れ外出も自由に出来る様になつた。いよいよ子供が十八歳の時、父の命日が済んだその翌日、子供に妾の室に来ることを許した。子供は喜んで妾の寝床に上り、正に肉体に触れんとする一刹那俄《にわか》に大地が振動し、今ここに握つて居る頭髪を残して、子供は地の底に堕ちて了つた。妾は余りの恐しさに、罪を亡ぼさんとして世染《せぜん》を断ち神社仏閣を巡拝し、夫と子供との冥福を祈ることにした。」
神界旅行の異文
,→本文
自分はそれ丈の事を聞いて、高天原の方へ向ひ神界探検にかからうとした。
「これは一度畜生道に行つて来なければならぬので、唯行き易いやうに、此処まで救うてやつたのである」
と言はれた。
「貴君が神界へ行かれるなら、何卒妾も伴れて行つて下さい」
と云ふから、道伴れとなり、細い道を長い間進んで、少しく広い所に出た。
「貴女は相当な所に生れたような人品骨柄で別けて優美な方であるが、その汚いものを何故離さぬのか。地の底にでも埋めたらよからう」
と訊ねた。女は耻ぢらひつつ
と云つて袖で目を拭ひ乍ら答へるのであつた。その話には
この物語を聞いて自分は天然笛を吹き、「惟神霊幸倍坐世」を唱へた。見る間に頭髪はなくなつて、地の底から子供が出て来た。この子供は幽体であつたが、直ちに現界に生れ、今や地の神界に於て活動をして居る。又この女は美しい雲に包まれて見えなくなつたが、今日は地の高天原に於て、白梅の如き姿をして働いて居る。自分は更に神界の道路を求めて進まむと思ひつつも、腰掛石に休息して居た。