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3月3日
,編集の要約なし
== 明治五十五年三月三日五月五日 ==
明治37年(1904年)旧7月12日の[[大本神諭]]に「明治五十五年の三月三日、五月五日は誠に結構な日である」とあるに「明治五十五年の三月三日、五月五日は誠に結構な日である」という予言めいた文言がある<ref>「明治五十年を真中として、前後十年の間が世の立替の正念場であるぞよ。それまでに神の経綸が急けるから、何と申しても今度は止ては下さるなよ。明治五十五年の三月三日、五月五日は誠に結構な日であるから、それ迄はこの大本の中は辛いぞよ」〔{{os|35|明治37年旧7月12日}}〕</ref>。明治55年は大正11年(1922年)に当たる。そのため大正11年の3月3日や5月5日に何か大きな事件が起きるのだと信じる信者も多数いた<ref>{{rm09|3|0001|序文}}:「明治五十五年の三月三日五月五日といふ神の抽象的教示にたいして、五十五年は大正十一年に相当するから、今年は女子の御魂にたいして肉体的結構があるとか、大本の神の経綸について花々しきことが出現するかのやうに期待してをる審神者があるやうにきく」</ref>。谷口正治も大正11年の3月3日と5月5日が最後の審判の正念場だと信じていた<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c4213|谷口正治}}」</ref>。
王仁三郎はこの3月3日・5月5日は暦の上での日付ではないとして、[[言霊学]]により解釈し、「三月三日とは三ツの御魂なる月の大神の示顕が、天地人三体に輝きわたる日といふこと」であり、「あたかも暗黒の天地に、日月の東天を出でて万界を照らすがごとき瑞祥を、五月五日といふ」のだと教えている。<ref>{{rm09|3|0001|序文}}</ref>
[[Category:日付|303]]
[[Category:3月3日|*]]
[[Category:予言|303]]