21,339
回編集
差分
Jump to navigation
Jump to search
出口直
,→最初の綾部移住の時期
それに対して[[出口和明]]『[[大地の母]]』では、ユリが自殺した後だとしている。<ref>『大地の母 第三巻』「ゆりの怨霊」</ref>
これについて出口和明は『[[いり豆の花]]』の中で、[[出口澄子]]の著述の中で、最初の移住はナオが18歳の時だとする記述と、16歳の時だとする記述があるが、いずれにせよユリの死後のこととして記されていると指摘している。ユリの自殺は安政元年(1854年)8月29日<ref>『いり豆の花』p126「(略)非業の最後を遂げた。『[[教祖伝]]』はこの日を安政元年八月十九日のこととしているが、出口家の菩提寺である[[西福院]](綾部市東新宮寺町)にある過去帳によると、八月二十九日となっている。」</ref>なので、移住はユリが死んだ日「以後間もなくから何ヶ月かの間だと推測」している。なので、移住はユリが死んだ日「以後間もなくから何ヶ月かの間」であり「直十九歳の年」だと推測している。<ref>『いり豆の花』p128</ref>
『大本年表』や『大本七十年史』が、ナオの移住はユリの自殺前だと解釈しているのは、澄子の記憶の中で、ユリの自殺後という記憶よりも、ナオが18歳または16歳の時だという年齢の記憶の方が信用できると考えたためではないか? 数えで18歳なら嘉永6年(1853年)、16歳なら嘉永4年(1851年)であり、ユリの自殺(1854年)より前になる。