出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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万寿苑(まんじゅえん)は、天恩郷の旧称である。
大正14年(1925年)の節分大祭を期に、旧亀岡城址の整備に着手し、それまで万寿苑と呼んでいたのを、王仁三郎が「天恩郷」と命名した。[1]
また、天恩郷の月照山より北側の部分を「万寿苑」、南側を「千秋苑」と呼ぶことになった。[1] [2]
王仁三郎の著作の中には「苑」ではなく「園」の字が使われ「万寿園」と表記されているものがある。[3]
脚注
- ↑ 1.0 1.1 『大本七十年史 上巻』「国内宣教と造営#」
- ↑ 水鏡「天恩郷の命名」#:「天恩郷を南北に別けて、月照山の以北を万寿苑と名づけ、以南を千秋苑と命名した」
- ↑ 『神霊界』大正9年1月1日号「王仁随筆」p8-9:「此の亀の名に負ふ亀山の万寿園に審判庭なり、修行場を設くるは、神界所定の真神業である。(略)梅に因縁深き亀山の万寿園に、教の園を開設するは、実に神界経綸上機宜に合したものである」