出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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概要
- 大正9年に竣工した五六七殿は拝殿であり、その奥に造られた神殿が至聖殿である。渡り橋を経て別棟になっていた。桧皮葺きで、建坪30坪。[1]
略年表
- 大正9年(1920年)3月22日、斧始式。[1] [2]
- 同年5月20日、地鎮祭。6月1日、立柱式。6月9日、上棟式。[2]
- 同年9月14日、竣成。[2]
- 同年9月24日、竣成式。金竜殿から大本皇大神の神霊が遷座される。[1] [2] [3]
- 昭和3年(1928年)3月3日、みろく大祭で、17人の幹部が至聖殿に昇殿して祭典を執行したが、これが当局から国体変革の秘密結社を結成したと曲解され、第二次大本事件の証拠とされた。→「みろく大祭」を見よ
- 昭和11年(1936年)5月21日、第二次大本事件により至聖殿は倒壊される。[2]
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 『大本七十年史 上巻』「綾部神苑の拡張と整備#」
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 「大本年表」
- ↑ 「大本年表」では9月14日に竣成、24日に竣成式になっているが、『大本七十年史』では9月24日に「竣工」(綾部神苑の拡張と整備#」)、9月14日に「落成式」(亀岡大道場#」)になっており、食い違いがある。