熊山
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熊山遺跡
- 熊山遺跡は石積みの構造物である。方形の底辺は約12メートル、高さ約3.5メートルの、三段の階段状ピラミッドのような形状をしている。
- 熊山遺跡は一般には奈良時代に造られた何らかの仏教遺跡だと言われている。鑑真が日本に来て最初に築いた戒壇(僧侶になるための戒律を授ける場)とされ、日本五戒壇の一つと言われた[1]。現在では仏塔(仏舎利を安置する塔)だと言われている。
- 昭和31年(1956年)に国史跡に指定された。
- 山頂が所属する自治体は合併によって変遷がある。明治初頭には和気郡奥吉原村、明治22年(1889年)和気郡熊山村、昭和28年(1953年)赤磐郡熊山町、平成17年(2005年)赤磐市。
- 熊山遺跡 - 赤磐市
- 熊山遺跡 - ウィキペディア
熊山神社
出口王仁三郎との関わり
関連資料
- 『研修資料 出口王仁三郎聖師と熊山』編集・愛善苑、発行・いづとみづ、平成2年(1990年)5月
脚注
- ↑ 昔も今も一般には、奈良の東大寺・太宰府の観世音寺・下野の薬師寺が「日本三戒壇」または「天下三戒壇」と言われている。「日本五戒壇の一つ」とは『和気郡誌』と王仁三郎関係の文献くらいしか書かれていないので、関係者が勝手に言っていただけの可能性がある。牧慎平・小森国嗣「霊山熊山の世に出るまで(三)」(『神の国』昭和8年3月号109頁)によると「日本五戒壇」とは大和の東大寺・比叡山の唐招提寺・下野の薬師寺・筑前の観音寺(観世音寺の誤記だと思われる)・熊山の霊山寺である。
- ↑ 国立国会図書館デジタルコレクション蔵書『和気郡誌』 PID:766414/1/58、明治42年(1909年)発行、83頁・487頁
- ↑ 国立国会図書館デジタルコレクション蔵書『岡山県の文化財 第1集』 PID:2476743/1/31、昭和32年(1957年)発行、55頁