昭和青年会会歌
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概要
歌詞「若人《わかうど》の奮ひたつべき時は来《き》ぬ若き日本の春は近めり」
この歌詞は『昭和青年』昭和6年(1931年)12月号4~5頁に掲載された、王仁三郎が詠んだ歌20首のうちの1首である。王仁三郎はこの歌を「開化天皇の宣伝歌」だと言って、曲を付けさせ、昭和青年会の会歌にした。会員に歌わして全国を回らせた。
穴太の産土様は稚日本根子彦大日日命である。若き日本の根本の神様ということだから開化天皇はおくり名である。世界を統一される神様である。王仁は今は開化天皇の御神業をやっているのである。それだから開化天皇の宣伝歌「若人の奮ひたつべき時は来ぬ若き日本の春は近めり」(昭和青年会会歌となる)を日本中歌って廻らしたのである。日本は古いけれども若い国である。
出典:『新月の光』「開化天皇の御神業」(昭和17年10月12日の発言)
『昭和』昭和8年1月号で出口三千麿が次のように描写している。
師は師の弟子達をことごとく青年たらしめ、自らまた壮者を凌ぐ勢いをもって子弟の先頭に立たる。昭和青年会とは即ちこれら老若を問わざる師の子弟の活動団体である。秋空高く諸山《しよざん》紫に烟《けむ》る京都市外南桑《なんそう》の原野に嚠喨《りゅうりょう》と響くラッパの音に足並み揃えて、里余《りよ》に亘り長蛇の如くえんえんとして進む昭和青年隊の壮観は一瞥もって師の意気を偲ぶに足る。師自ら神軍の先頭に立ち、カーキ色の制服に老若等しく身を固め、数百流の神旗を押し立てて『若人の振ひ立つべき時は来ぬ若き日本の春は近めり』と天地も破れよと会歌を叫ぶ。ああ壮《さかん》なるかな、神軍の威容、人もしこの隊伍の中に霜を戴く老人がなお矍錯《かくしゃく》として『若人の』と叫びつつ土を蹴って進むさまを見る者あらば感激の涙滂沱《ぼうだ》たるを禁ずる能《あた》わないであろう。
ああ時やよし、人やよし、この時において混濁の世界を救済し、真日本に立ち替わる日の目睫《もくしょう》の間にあるを余らは断じて疑わぬのである。
されば立てよ、国民! 真日本建設の烽火《のりし》は上がりたり。
ただしこの「若人の~」の歌より前に昭和青年会の会歌があったようである。松村宣子・作詞、田中正彦・作曲の「愛善の旗幟の下に」という歌が会歌だったようである。[1]
演奏
関連項目
脚注
- ↑ 『昭和青年』昭和5年(1930年)8月号117頁に楽譜がある。