黄泉島
黄泉島(よもつじま)は、霊界物語に登場する島。太平洋にあり、いわゆるムー大陸である。
目次
概要
主なエピソード
黄泉島(黄泉国)は「黄泉比良坂の戦い」(第10巻)の主戦場であり、その伏線が引かれる第7巻から度々話題に登るが、実際に舞台として登場するのは第10巻第21章「桃の実」#と第24章「言向和」#の2章だけである。
その後、第12巻第27章「航空船」#でもう一度舞台となるが、海の中に沈んでしまう。
黄泉比良坂の戦い
黄泉比良坂において、日の出神が率いる神軍と、常世国の魔軍との決戦が行われる。 →詳細は「黄泉比良坂の戦い」を見よ
黄泉島の沈没
祝部神は黄泉島の曲津神を掃討するため、筑紫の国から筑紫丸に乗った。筑紫丸が黄泉島に近づくと、黄泉島は轟然たる音響を立てて海中に沈み始めた。祝部神は島を浮き上がらせようと鎮魂を施すが、島は刻々と沈んで行く。祝部神は海に飛び込み泳いで黄泉島に上陸した。ウの言霊を発すると黄泉島は浮き上がり出した。祝部神は、島が沈んだら巨浪で船が沈んでしまうので、今のうちに常世の国へ向かって走り行け、と指示する。
島の曲津神たちは黄泉比良坂をさして逃げて行く。祝部神は黄泉比良坂の坂の上に登り、千引の岩[2]に端坐して神言を奏上する。大音響と共に黄泉島は海中に没し、千引の岩だけが残った。そこへ天空を轟かして天の磐樟船が現れる。日の出神が遣わした船で、正鹿山津見が乗っていた。祝部神を救うと、船は天教山の阿波岐原を目がけて空を飛んで行った。
ムー大陸
黄泉島とは、はるか太古に太平洋にあり、沈没して沈んでしまった、いわゆるムー大陸のことである。
ムー大陸の存在は20世紀初頭に米国の作家ジェームズ・チャーチワードによって有名になった。チャーチワードの説によると、ムー大陸の大きさは東西に8000キロ、南北に5000キロあるという。
出口王仁三郎は、大正11年(1922年)2月18日に書いた霊界物語第9巻総説歌で、黄泉島の大きさについて次のように記している。
1浬(海里)≒1.852キロメートルで計算すると、横(東西)3100浬は約5741キロメートル、縦(南北)2700浬は約5000キロメートルになる。
王仁三郎は昭和7年(1932年)10月?頃に大阪毎日新聞でムー大陸の記事を見て、ムー大陸とは「霊界物語中に示された黄泉島の事である」と発言している。〔玉鏡「「ム」大陸は黄泉島」#、初出は『神の国』昭和7年10月号〕
ちなみにチャーチワードが『The Lost Continent of Mu』を発刊したのは1926年、『The Children of Mu』(邦題『南洋諸島の古代文化』昭和17年、岡倉書房)を発刊したのは1936年であり、王仁三郎はそれより数年以上前(1922年)に霊界物語で太平洋の失われた大陸の存在を発表していたことになる。
- 太古は一面ドロドロの大陸で、少し固まり、黄泉島時代(天津神の神政時代)は中心に陸地があって周囲に水が廻っていた。水半分陸半分だったので、海は非常に深かった。黄泉島が陥落して今日のようになった。[5]
- 黄泉島時代は中心が陸で水が取りまいて伊邪那美命が治めておられたのでナミという。[6]
- 黄泉島は数万年前に沈没した(注・チャーチワードの説によると約1万2千年前)。非常に文化が発達していたので運河が掘ってあった。それが太平洋に大きな溝になって残っている。南洋諸島やハワイは、黄泉島の固い部分が残ったものである。昔は岩ばかりであったが、何万年も経て色々の物が集まって今日のような島となった。[5]
- 今の太平洋の戦争は黄泉比良坂の戦いである。南洋の島は陥没した黄泉島の高い所である。[7]
- 黄泉島は、日本からはユ大陸で、向こうからはム大陸である。曲津だから。「ヨモツ」の言霊反しは「ユ」になり、「マガツ」の言霊反しは「ム」になる。[8]
脚注
- ↑ 使用回数は、黄泉島69回、黄泉の島14回
- ↑ 第10巻第24章「言向和」#で日の出神が用いた千引の岩。
- ↑ 第12巻第27章「航空船」/a090-a093#:(丙のセリフ)「黄泉島はこのごろ大変な地震で、日々二三十間づつ地面が沈没しかかつて居るやうですな。人の噂に依れば、もう六分通り沈むで仕舞つたさうですよ」
- ↑ 第12巻第27章「航空船」/a294-a295#:「曲津神の棲む黄泉島はどうしても、海中に沈めてしまはねばならぬのだ」
- ↑ 5.0 5.1 『新月の光』0385「大地の変遷(黄泉島とハワイ)」
- ↑ 『新月の光』0367「黄泉島とナミ」
- ↑ 『新月の光』0751「黄泉比良坂の戦」
- ↑ 『新月の光』1174「黄泉島(ヨモツじま)」
関連項目
- 黄泉:黄泉が付く単語一覧。