月見里稲荷神社
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月見里稲荷神社(やまなしいなりじんじゃ)(略して月見里神社)は、静岡・清水にある神社。長沢雄楯が神職をしていた。
上田喜三郎は、神社附属の稲荷講社に加入し、長沢雄楯から霊学を学ぶため、何度か神社を訪れている。→詳細は「稲荷講社」「長沢雄楯」を見よ
霊界物語には第37巻の自叙伝に登場する。初出:第37巻第20章「仁志東」#
神社概要
- 現在の正式名は「月見里笠森稲荷神社」
- 住所:当時・静岡県安倍郡不二見村下清水/現在・静岡市清水区岡町9
- 祭神:当時[1]・宇迦之御魂命、大己貴命、猿田彦命、大宮姫命、保食命/現在[2]・天宇受売命 [相殿]宇迦能御魂命、猿田彦命、久那斗命、速佐須良比売命
- 由緒:当時[1]・不詳/現在[2]:創建は約1570年前、第19代允恭天皇の御代13年5月15日に、清見潟の島の領主・郷士善四郎忠村の遠都御祖が招請して天宇受売命を奉祀し、更に同28年に宇迦能御魂命他三柱の大神等を配祀した。
月見里の語源
月見里(やまなし)という地名や苗字は「月が見える里には山が無い」(山がないと月を見ることができる)という意味らしい。[3]
中野与之助の「三五教」
大本信者だった中野与之助は昭和24年(1949年)、清水市にて「三五教」という新宗教を興すが、本部を月見里稲荷神社のすぐ近くに置いた。開教の由来として──明治32年(1899年)春、長沢雄楯が神社で神懸かりの修行をした際に「今から50年後に三五と書いてあなないという世界的な宗教がここに生まれる」という神示があった。長沢に師事した中野は神示の通り50年後の昭和24年4月4日に開教した──とする。[4]
現在は掛川市に本部がある。
外部リンク
- 不二見村 - ウィキペディア
- 宗教法人三五教(公式サイト)
- 国立国会図書館デジタルコレクション])