人物メモ
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【編纂者用】
- 玉彦、厳彦、楠彦は常世の国で生まれた 第15巻第22章/a078#
- テルモン山の神館の小国別は、初版では「鬼国別」で、御校正本で「小国別」に直された。なぜか第56巻第16章「不臣」#だけ「小国彦」になっている。4回出る。
盤古神王は大自在天大国彦の改名だが、ウラル彦が盤古神王と呼ばれている場面がある。第30巻第22章#「老木茂りウラル教 教の祖を祀りたる 神王祠を発見し」盤古神王は盤古大神の改称- 日向良広は旧名は尾崎享吉 真如の光1934-5p4
- 森良仁 は「りょうじん」とも読むらしい 大地の母12巻p148 『真如の光』大正15年(1926年)2月15日号p25
- 千草姫はチウイン太子の「継母」第70巻第20章#
- 千草の高姫は43歳 第72巻第15章#「最早四十三」
- 山川日出子の本名は佐賀美子? 愛善世界 平成24年(2012年)5月号 p65
- ヨリコ姫 依子姫 と漢字 第71巻第16章#
- 肉体持った神は神素盞嗚大神だけ 第72巻第18章/a152# ヨリコ姫の歌
- 高姫と梅彦(照国別)は出会って別れてから13~4年になる。第72巻第22章a214頁#
- コルトンはシャカンナの部下。第67巻で 朝倉谷 浅倉山に、シャカンナ、娘スバール姫、コルトンの3人で隠れ住んだことになっているが、第68巻では名前が見えない コルトンは6719で逃げている。
- 湯浅斎次郎は文献によっては湯浅斎治郎と書いてある場合もある
- 『真如能光』昭和3年(1928年)4月5日号「天恩郷だより」p40に「笹目恒雄氏本日蒙古よりの珍客三名を伴ひて来郷いたしました」とある。
- 『真如能光』大正15年(1926年)4月25日号「天恩郷だより」p89に「比沼真奈井神社々司聖師様令弟中澤幸吉氏並に令息来郷後郷里穴太へ」とある。
- 「豊受の神の豊国の、主と現はれ真寸鏡」伊都能売神諭 大正8年1月27日#
- 黒姫の年齢 第24巻第4章#:ブランジーの妻にクロンバーといふ女あり。夫婦何れも五十の坂を四つ五つ越えたる年輩なり
- カールは木花姫命の化身 第33巻第12章#
- 治道居士(鬼春別)はバラモン軍の「中将」だった 第65巻第1章#
- ベルは治道居士一行に加わったが、第65巻第8章#までしか出ない。これは寝返ったため。「治道居士は、ベルが自分を殺害し、セールに裏返らうといふ意味を仄かしてゐるのを、鼾をかいてゐる振して聞いてゐた。」
- 長沢雄楯は、安政5年(1858年)8月8日生まれ。鈴木重道・著『本田親徳研究』p543
- 名田音吉について「名田(音吉)は有栖川宮様に従いて世界中へ漫遊して来たから蒙古語も皆知つて居ると云ふ」『真如の光』大正14年(1925年)11月5日号「蒙古人とエスペラント
」p8(王仁三郎の講演録)
- 大宮守子が大正14年(1925年)9月8日付で宣伝使に任命されている。『真如の光』大正14年(1925年)11月5日号p53
- 大正14年(1925年)11月30日、吉田兌三、福知山連隊から満期除隊。『真如の光』大正14年(1925年)12月5日号p41
- 大正14年(1925年)12月1日、吉田兌三、出口家を離席。『真如の光』大正14年(1925年)12月15日号p36
- 岡田茂吉、『真如の光』大正14年(1925年)12月25日号に賀詞を出している
- 藤沼庄平『婦人の国』5月号の「大正聖代の怪宗教大本教撲滅秘史」を取り消す。『真如の光』大正15年(1926年)4月25日号p99
- 西田元教、大正15年(1926年)5月5日、宣伝使試補に任命される。『真如の光』大正15年(1926年)5月15日号p34
- 昭和2年(1927年)大本春季大祭の後、井上総裁から四女・出口一二三の帰幽が発表された。一二三は大正10年(1921年)12歳の時にお腹に水が溜まる病気になった。筆先には「輪能比売(りんのうひめ)」という神名。一二三には祥栄(よしひで)という子供がいたが、3月20日に国替えし、一二三は24日に国替えした。 『真如の光』昭和2年(1927年)4月15日号p23~