「久兵衛池」の版間の差分

編集の要約なし
1行目: 1行目:
[[ファイル:瑞泉苑の久兵衛池2019.jpg|thumb|現在の久兵衛池。平成31年(2019年)4月撮影。]]
[[ファイル:瑞泉苑の久兵衛池2019.jpg|thumb|現在の久兵衛池。平成31年(2019年)4月撮影。]]


'''久兵衛池'''(きゅうべえいけ)は、[[上田喜三郎]](王仁三郎)の生家の西南隅にあった潅漑用の池。現在も[[瑞泉苑]]の中に残っている。
'''久兵衛池'''(きゅうべえいけ)は、[[上田喜三郎]](出口王仁三郎)の生家の西南隅にあった潅漑用の池。現在も[[瑞泉苑]]の中に残っている。


上田家の先祖はもともと「藤原」姓で、「上田」姓を名乗った初代が上田久兵衛という<ref>「本教創世記」の記述によって代を数えると、久兵衛─政五郎─吉松(初代)─吉松(二代)─吉松(三代。旧名・佐野梅吉)─喜三郎ということになり、久兵衛を初代として6代目が喜三郎ということになる。</ref>。この久兵衛の時代に掘られたので久兵衛池と呼ばれるようになった。
上田家の先祖はもともと「藤原」姓で、「上田」姓を名乗った初代が上田久兵衛という<ref>「本教創世記」の記述によって代を数えると、久兵衛─政五郎─吉松(初代)─吉松(二代)─吉松(三代。旧名・佐野梅吉)─喜三郎ということになり、久兵衛を初代として6代目が喜三郎ということになる。</ref>。この久兵衛の時代に掘られたので久兵衛池と呼ばれるようになった。