「みろく塔」の版間の差分

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 三月二十二日には、[[月の輪台]]ができ上がった。当時この月の輪台が何を意味するか判らなかったが、後に月の輪の西の端に十三階になっている石の塔が立った。この石の塔は、現在の天恩郷の南側の道路に面した石屋にあったものであるが、大先生がフト通りかかり見ると十三階の塔があるので、「それは売り物か」と尋ねられると、石屋は「これは私の失敗で、京都から十二階の塔を頼まれていたのですが、何気なしに作り上げてみると十三階になっており、注文主から引き取っては貰えず、今、雨ざらしになっているのです」と答えた。「それならそれを売ってくれないか」との話に石屋は大変喜こび、「こんな間違いの塔でもよいのなら手間代はいりません。石代だけでよいです」といって、全く安い値で手に入ったものである。
 三月二十二日には、[[月の輪台]]ができ上がった。当時この月の輪台が何を意味するか判らなかったが、後に月の輪の西の端に十三階になっている石の塔が立った。この石の塔は、現在の天恩郷の南側の道路に面した石屋にあったものであるが、大先生がフト通りかかり見ると十三階の塔があるので、「それは売り物か」と尋ねられると、石屋は「これは私の失敗で、京都から十二階の塔を頼まれていたのですが、何気なしに作り上げてみると十三階になっており、注文主から引き取っては貰えず、今、雨ざらしになっているのです」と答えた。「それならそれを売ってくれないか」との話に石屋は大変喜こび、「こんな間違いの塔でもよいのなら手間代はいりません。石代だけでよいです」といって、全く安い値で手に入ったものである。


 大先生(注・王仁三郎)はその塔を月の輪台の西側に建てられた。これをみろく塔と名付けられたのである。しかしこの塔には、その当時発表されなかった神事がある。それはかつて[[神島]]が発見される前、大先生の口の中がはれてシャリが出たことがある。そのシャリが神島の形であった。それを手懸りに神島が発見された、という神秘な話である。大先生は、そのシャリを綾部から持ってこられ、その塔の下に、箱に入れて納められ、別に桧の板に、[[大八洲彦命]]、[[神国別命]]、[[言霊別命]]、[[大足彦命]]と書かれたものをシャリを中心に四方に埋めてその上に塔を建てられたのである。従って、みろく塔という名も、その意味から出たのである。| [[大国美都雄]]『[[真偽二道]]』102頁<ref>『[[新月の光]]』にも同様の話が記録されている。『[[新月の光]]』0019「神島開き(開祖、大正五年旧九月九日、神筆を揮わる)」</ref> }}
 大先生<ref>王仁三郎のこと。</ref>はその塔を月の輪台の西側に建てられた。これをみろく塔と名付けられたのである。しかしこの塔には、その当時発表されなかった神事がある。それはかつて[[神島]]が発見される前、大先生の口の中がはれてシャリが出たことがある。そのシャリが神島の形であった。それを手懸りに神島が発見された、という神秘な話である。大先生は、そのシャリを綾部から持ってこられ、その塔の下に、箱に入れて納められ、別に桧の板に、[[大八洲彦命]]、[[神国別命]]、[[言霊別命]]、[[大足彦命]]と書かれたものをシャリを中心に四方に埋めてその上に塔を建てられたのである。従って、みろく塔という名も、その意味から出たのである。| [[大国美都雄]]『[[真偽二道]]』102頁<ref>『[[新月の光]]』にも同様の話が記録されている。『[[新月の光]]』0019「神島開き(開祖、大正五年旧九月九日、神筆を揮わる)」</ref> }}


== 略年表 ==
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