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== 概要 == | == 概要 == | ||
大本開祖・[[出口直]] | 大本開祖・[[出口直]]。大正6年(1917年)秋。直を撮影した最後の写真。 | ||
* [[浅野和三郎]]著『[[冬籠]]』197~201頁によると──出口直は自分が写真に撮られることに慎重で、それまでに直が単独で撮った写真は1枚しかなかった(家族等と一緒に撮った写真は複数ある)。浅野和三郎の兄・[[浅野正恭]]は海軍内でも有名な写真狂だった。大正6年(1917年)10月30日、正恭は東京出張の途次、綾部に立ち寄った。正恭は直の写真を撮らせてもらえないだろうかと和三郎に持ちかけ、翌31日、和三郎は王仁三郎に相談した。王仁三郎は直に写真撮影を勧めたところ、直は神勅を請い、その結果、写真を撮ってもらえという神勅が下った。それにより同日(大正6年10月31日)正恭は[[金竜殿]]の中で、襖を開いて神壇を背景にして直の写真を撮った。これが直を撮影した最後の写真となった。 | * [[浅野和三郎]]著『[[冬籠]]』197~201頁によると──出口直は自分が写真に撮られることに慎重で、それまでに直が単独で撮った写真は1枚しかなかった(家族等と一緒に撮った写真は複数ある)。浅野和三郎の兄・[[浅野正恭]]は海軍内でも有名な写真狂だった。大正6年(1917年)10月30日、正恭は東京出張の途次、綾部に立ち寄った。正恭は直の写真を撮らせてもらえないだろうかと和三郎に持ちかけ、翌31日、和三郎は王仁三郎に相談した。王仁三郎は直に写真撮影を勧めたところ、直は神勅を請い、その結果、写真を撮ってもらえという神勅が下った。それにより同日(大正6年10月31日)正恭は[[金竜殿]]の中で、襖を開いて神壇を背景にして直の写真を撮った。これが直を撮影した最後の写真となった。 | ||