「香良洲神社」の版間の差分
ページの作成:「thumb|香良洲神社(1992年撮影) ファイル:香良洲神社之図.jpg|thumb|明治初期の香良洲神社…」 |
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この時、出口直に次のような神示が下った。<ref>この神示は王仁三郎が編纂した大本神諭(神霊界掲載のもの)には収録されていない「筆先」である。[[五巻本]](第五集58~63頁)に収録されている旧3月8日の筆先の最後に記されている。ただし内容的には綾部を出発した日(旧3月8日=新4月24日)ではなく、香良洲神社参拝(旧3月10日=新4月26日)後のものである(「~いたしたのは」「~まいりた」など過去形なので)。『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2115|明治の晩期}}」320頁ではこの神示は'''旧3月15日'''の筆先だと記されている。</ref> | この時、出口直に次のような神示が下った。<ref>この神示は王仁三郎が編纂した大本神諭(神霊界掲載のもの)には収録されていない「筆先」である。[[五巻本]](第五集58~63頁)に収録されている旧3月8日の筆先の最後に記されている。ただし内容的には綾部を出発した日(旧3月8日=新4月24日)ではなく、香良洲神社参拝(旧3月10日=新4月26日)後のものである(「~いたしたのは」「~まいりた」など過去形なので)。『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2115|明治の晩期}}」320頁ではこの神示は'''旧3月15日'''の筆先だと記されている。</ref> | ||
{{inyou| 出口なお七十七才、明治四十五年の旧三月の八日立ちで、お伊勢の大神宮どのへ参拝をいたしたのは、むかしからないことでありたぞよ。 | {{inyou| | ||
出口なお七十七才、明治四十五年の旧三月の八日立ちで、お伊勢の大神宮どのへ参拝をいたしたのは、むかしからないことでありたぞよ。 | |||
おからすの宮に、同じみたまの変性男子の宿りておる出口なお ひっそうて、国常立尊が連れまいりた、おん供は結構でありたぞよ。世のかわり目のおりぞよ。| 『[[大本神諭 (五巻本)]] 第五集』明治四十五年旧三月八日、62頁}} | おからすの宮に、同じみたまの変性男子の宿りておる出口なお ひっそうて、国常立尊が連れまいりた、おん供は結構でありたぞよ。世のかわり目のおりぞよ。| 『[[大本神諭 (五巻本)]] 第五集』明治四十五年旧三月八日、62頁}} |