「田村月樵」の版間の差分
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王仁三郎の父・[[上田吉松]](婿入り前の名前は[[佐野梅吉]])の兄または姉の子供だと思われるが詳細は不明。 | 王仁三郎の父・[[上田吉松]](婿入り前の名前は[[佐野梅吉]])の兄または姉の子供だと思われるが詳細は不明。 | ||
第八歌集『[[青嵐]]』に「従兄月樵」という項があり、明治32年(1899年)1月に京都の稲荷大社に参拝した帰途、篠村(現在の亀岡市篠町)の闇宮(くらがりのみや)(現・王子神社)を参拝し、田村月樵と会って話したことが歌われている。 | |||
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くらがりの宮の社務所に立寄りて|従兄《いとこ》の田村月樵を訪ふ | |||
くらがりの宮の笠松《かさまつ》幹ふとく丈《たけ》たかくして天にのびをり | |||
久闊《きうくわつ》を叙せば従兄の月樵は何してゐるかとしみじみ尋ぬる | |||
去年《こぞ》の春ゆ惟神の道に仕へしといへば月樵黙《もだ》しゐたりき | |||
ややしばしありて月樵おもむろに絵を学べよとわれにすすむる | |||
絵の道はわれ好めどもかむながら神の道にはそむけじと答ふ | |||
月樵はうなづきながら神国《かみくに》の前途のために尽せと教ふる | |||
|出口王仁三郎『[[青嵐]]』pp.24-25 }} | |||
== 経歴が記されている資料 == | == 経歴が記されている資料 == | ||