「大本」の版間の差分

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* 昭和10年(1935年)12月、[[第二次大本事件]]当時の信者数は1万7168人。この場合の信者とは〈大神奉斎と祖霊の復祭をし、そのうえ教団護持の更始会費を納入していた信者〉のこと。<ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c6331|信仰の護持}}」548頁:〈大本の場合その信者数は、事件前においてはおよそ二〇万とか三〇万といわれていた。しかし当時の記録によれば、大神奉斎と祖霊の復祭をし、そのうえ教団護持の更始会費を納入していた信者は一万七一六八人にすぎない。これを世帯単位に換算するとさらに少ない数となるのである〉</ref>
* 昭和10年(1935年)12月、[[第二次大本事件]]当時の信者数は1万7168人。この場合の信者とは〈大神奉斎と祖霊の復祭をし、そのうえ教団護持の更始会費を納入していた信者〉のこと。<ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c6331|信仰の護持}}」548頁:〈大本の場合その信者数は、事件前においてはおよそ二〇万とか三〇万といわれていた。しかし当時の記録によれば、大神奉斎と祖霊の復祭をし、そのうえ教団護持の更始会費を納入していた信者は一万七一六八人にすぎない。これを世帯単位に換算するとさらに少ない数となるのである〉</ref>
* 当局側の資料によると、第二次事件当時の信者数は約40万人である。<ref>杭迫軍二『白日の下に』269頁〈当時いろいろな数字から推算したところでは、信徒と目せられるもの約四十万とするのがほぼ一致した概数であった。〉、{{ndldl|12282488/1/130}}</ref>
* 当局側の資料によると、第二次事件当時の信者数は約40万人である。<ref>杭迫軍二『白日の下に』269頁〈当時いろいろな数字から推算したところでは、信徒と目せられるもの約四十万とするのがほぼ一致した概数であった。〉、{{ndldl|12282488/1/130}}</ref>
* 令和4年度宗教年鑑<ref>令和4年度版59頁 「[https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/hakusho_nenjihokokusho/shukyo_nenkan/index.html 宗教年鑑]」(文化庁)</ref>によると、「信者数」<ref>信者の定義はそれぞれの宗教法人によって異なる。大本の場合は何を信者と定義しているのかは不明だが、活動をしていない幽霊信者を除いたアクティブな信者の数はおそらくこの数分の1である。</ref>は165,338人、「教師数」<ref>宣伝使の人数か?</ref>は4,089人である。<ref>ちなみに令和4年(2022年)の25年前の平成9年(1997年)版では信者数173,513人、教師数6,168人である。</ref>
* 昭和30年(1955年)版宗教年鑑によると、信者数は74,913人、教師数は3,817人である。<ref>{{ndldl|2991832/1/55}}</ref> <ref name="syukyonenkan">宗教年鑑における信者の定義はそれぞれの宗教法人によって異なる。活動をしていない名簿上だけの"幽霊信者"がかなりいるため実数の数倍の人数になっているケースが多いようである。大本の場合「教師」とは宣伝使の人数か?</ref>
* 令和4年(2022年)度版宗教年鑑によると、信者数は165,338人、教師数は4,089人である。<ref>令和4年度版59頁 「[https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/hakusho_nenjihokokusho/shukyo_nenkan/index.html 宗教年鑑]」(文化庁)</ref> <ref name="syukyonenkan" />


== 歴史 ==
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