「バラモン教」の版間の差分
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大国彦は[[黄泉比良坂の戦い]]([[第10巻]])で神軍に敗北し、改心して<ref>{{rm|10|23|神の慈愛}}</ref>、[[八十禍津日神]]となった<ref>{{rm|10|26|貴の御児}}</ref>。 | 大国彦は[[黄泉比良坂の戦い]]([[第10巻]])で神軍に敗北し、改心して<ref>{{rm|10|23|神の慈愛}}</ref>、[[八十禍津日神]]となった<ref>{{rm|10|26|貴の御児}}</ref>。 | ||
大国彦の息子・[[大国別]] | 大国彦の息子・[[大国別]]は神命を奉じて[[常世城]]から[[イホの都]]に渡り<ref>{{rm|40|1|大雲山}}:[[大黒主]]のセリフ〈抑も吾バラモン教は常世の国の常世城より、大国別は神命を奉じて埃及に渡り〉</ref>、自らが「大自在天」と称し、〈第二のウラル教〉であるバラモン教を開いた。<ref>{{rm|15|1|破羅門}}:〈埃及のイホの都に現はれ、第二のウラル教たる婆羅門教を開設し、大国別を大自在天と奉称し〉、〈大国別自ら大自在天と称し〉</ref> | ||
しかし[[三五教]]の宣伝使(イホの酋長・[[夏山彦]]や、[[祝姫]]、[[行平別]]、[[三光]]など)の活動([[第12巻]])によってバラモン教の勢力は衰退し、イホの都を離れて[[メソポタミヤ]]の[[顕恩郷]]に本拠を移した<ref>{{rm|15|1|破羅門}}</ref>。 | しかし[[三五教]]の宣伝使(イホの酋長・[[夏山彦]]や、[[祝姫]]、[[行平別]]、[[三光]]など)の活動([[第12巻]])によってバラモン教の勢力は衰退し、イホの都を離れて[[メソポタミヤ]]の[[顕恩郷]]に本拠を移した<ref>{{rm|15|1|破羅門}}</ref>。 | ||