「明治五年大蔵省布達第百十八号」の版間の差分
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[[第一次大本事件]]の際に当局からこの布達及び[[大正二年内務省令第六号第三十二条]]を根拠として[[本宮山神殿]]の取毀命令が出された。 | [[第一次大本事件]]の際に当局からこの布達及び[[大正二年内務省令第六号第三十二条]]を根拠として[[本宮山神殿]]の取毀命令が出された。 | ||
世間の書物等において第一次大本事件を説明する下りで、大蔵省達ではなく「'''太政官達'''」と書かれている場合がある<ref>【例】『[[第三次大本事件の真相]]』120頁:〈法律でもないたんなる明治五年の太政官達をかざしての神殿破壊命令である。〉</ref>。それはそもそも当局から出された命令自体に「太政官達」という間違ったことが記されているからである。太政官とは各省の上に置かれた、当時の最高官庁である。太政官達なら法律としての効力があるが、大蔵省達は法律ではないという意見もある。なぜ当局が太政官達と大蔵省達を間違えたかというと、そもそも当局(京都府警察や内務省、法制局)が布達をよく知らなかったからだと指摘されている<ref>『大本七十年史 上巻』「{{obc|B195401c3233|本宮山神殿破壊}}」</ref>。 | |||
== 脚注 == | == 脚注 == | ||