「出口三千麿」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
Jump to navigation Jump to search
 
1行目: 1行目:
 
'''出口三千麿'''(でぐち みちまる)は[[出口尚江]]([[王仁三郎]]の五女)の夫。旧姓・中野。本名・貞四郎。三千麿は大本名。(中野貞四郎、出口貞四郎)
 
'''出口三千麿'''(でぐち みちまる)は[[出口尚江]]([[王仁三郎]]の五女)の夫。旧姓・中野。本名・貞四郎。三千麿は大本名。(中野貞四郎、出口貞四郎)
  
[[中野岩太]]の四男。[[中野武営]](東京商業会議所の第二代会頭)の孫。東京帝国大学法学部卒。
+
[[中野岩太]](宝生流能楽師の中野茗水)の四男。[[中野武営]](東京商業会議所の第二代会頭)の孫。東京帝国大学法学部卒。
  
 
明治42年(1909年)11月4日生まれ。<ref>『[[神の国 (1950)|神の国]]』昭和30年(1955年)5月号p.47</ref>
 
明治42年(1909年)11月4日生まれ。<ref>『[[神の国 (1950)|神の国]]』昭和30年(1955年)5月号p.47</ref>

2024年7月25日 (木) 10:17時点における最新版

出口三千麿(でぐち みちまる)は出口尚江王仁三郎の五女)の夫。旧姓・中野。本名・貞四郎。三千麿は大本名。(中野貞四郎、出口貞四郎)

中野岩太(宝生流能楽師の中野茗水)の四男。中野武営(東京商業会議所の第二代会頭)の孫。東京帝国大学法学部卒。

明治42年(1909年)11月4日生まれ。[1]

昭和6年(1931年)8月19日(旧7月6日)、出口尚江と結婚。王仁三郎から「三千麿」と命名される。[2]

昭和29年(1954年)10月、副総長となる。[3]

昭和30年(1955年)3月22日、昇天。大本本部葬。[4]

脚注

  1. 神の国』昭和30年(1955年)5月号p.47
  2. 大本七十年史 下巻』259頁
  3. 大本七十年史 下巻』1020頁
  4. 大本七十年史 下巻』1021頁