「統務閣」の版間の差分
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* 大正3年(1914年)2月5日、節分の翌日に[[金竜殿]]と統務閣の斧始式が行われる。<ref name="B195401c2122">『大本七十年史 上巻』「{{obc|B195401c2122|「敷島新報」と直霊軍部隊}}」</ref> <ref name="oomoto_nenpyou">「大本年表」</ref> | * 大正3年(1914年)2月5日、節分の翌日に[[金竜殿]]と統務閣の斧始式が行われる。<ref name="B195401c2122">『大本七十年史 上巻』「{{obc|B195401c2122|「敷島新報」と直霊軍部隊}}」</ref> <ref name="oomoto_nenpyou">「大本年表」</ref> | ||
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2023年11月24日 (金) 20:50時点における最新版
統務閣(とうむかく)は、綾部の神苑にあった建物で、大正3年(1914年)9月に完成した。会務を統括するところで、斎務・会計・弁務・実業の四局が設けられた[1]。「東雲閣(とううんかく)」とも呼ぶ[2]。
概要
略年表
- 大正3年(1914年)2月5日、節分の翌日に金竜殿と統務閣の斧始式が行われる。[3] [4]
- 同年9月22日、竣工。仮教祖殿に奉斎してあった大神を統務閣に遷座する。統務閣を教祖(出口直)の居室とする。[3] [4]
- 大正7年(1918年)11月6日(旧10月3日)、統務閣で出口直が昇天する。
- 大正8年(1919年)4月3日、金竜殿に統務閣の大神を遷座。[4]
- 昭和3年(1928年)2月1日、統務閣で出口直日と高見元男(出口日出麿)の結婚式が行われる。[5]
- 昭和11年(1936年)5月、第二次大本事件により破壊された。