「王仁蒙古入記」の版間の差分

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[[ファイル:出口王仁三郎の書「東亜経綸」.jpg|thumb|200px|巻頭に掲載されている出口王仁三郎の書「東亜経綸」。]]
[[ファイル:出口王仁三郎の書「東亜経綸」.jpg|thumb|200px|巻頭に掲載されている出口王仁三郎の書「東亜経綸」。]]


'''王仁蒙古入記'''(おにもうこにゅうき)は、[[出口王仁三郎]]の著書。[[蚕都新聞社]]社長「[[上野公園]]」の名前で大正14年2月に発行された。内容は、大正13年2月から7月にかけて行われた[[蒙古入り]]の記録を小説調で著したものである。本書を大幅に改訂したものが昭和10年(1935年)4月に『[[出口王仁三郎全集]] 第六巻 入蒙記・其他』に「入蒙記」として収録された。また王仁三郎の昇天後に、[[霊界物語]]に特別編「[[入蒙記]]」として収録された。
'''王仁蒙古入記'''(おにもうこにゅうき)は、[[出口王仁三郎]]の著書。本書は[[霊界物語]]「[[入蒙記]]」の前身となった本で、「[[上野公園]]」という仮名で大正14年2月に発行された。内容は、大正13年2月から7月にかけて行われた[[蒙古入り]]の記録を小説調で著したものである。本書を大幅に改訂したものが昭和10年に刊行された『[[出口王仁三郎全集]] 第六巻』に「入蒙記」として収録された。また王仁三郎の昇天後に、[[霊界物語]]に特別篇「[[入蒙記]]」として収録された。


[[みいづ舎]]と[[八幡書店]]から復刻版が発行されている。
[[みいづ舎]]と[[八幡書店]]から復刻版が発行されている。
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* 王仁三郎は大正13年(1924年)2月12日深夜過ぎ(2月13日未明)に綾部を発ち、帰国したのは7月25日(門司上陸)だが、7月27日から11月1日まで大阪刑務所北区支所の未決監に収監されていたため、帰綾したのは11月1日である。その間、霊界物語の口述は中断していた。出国前に最後に口述したのは1月下旬で、第66巻(ただし実際には昭和2年10月に[[第69巻]]として発刊された)が伊予の[[道後温泉]]で口述されている。蒙古からの帰国後に、それに続く第67巻(王仁蒙古入記)が著述された。
* 王仁三郎は大正13年(1924年)2月12日深夜過ぎ(2月13日未明)に綾部を発ち、帰国したのは7月25日(門司上陸)だが、7月27日から11月1日まで大阪刑務所北区支所の未決監に収監されていたため、帰綾したのは11月1日である。その間、霊界物語の口述は中断していた。出国前に最後に口述したのは1月下旬で、第66巻(ただし実際には昭和2年10月に[[第69巻]]として発刊された)が伊予の[[道後温泉]]で口述されている。蒙古からの帰国後に、それに続く第67巻(王仁蒙古入記)が著述された。
* 口述日や筆録者名は記されていない(自分で書いた?)。「[[大本年表]]」には12月1日の項に〈「入蒙記」(王仁蒙古入記)のご口述始まる。〉と記されている。
* 口述日や筆録者名は記されていない(自分で書いた?)。「[[大本年表]]」には12月1日の項に〈「入蒙記」(王仁蒙古入記)のご口述始まる。〉と記されている。
* 本書の反響は大きく、たちまち五版を重ねた。<ref>『大本七十年史 上巻』「{{obc|B195401c4444|国内宣教と造営}}」</ref> <ref>五版というより五刷という意味だと思われる。発行日は初版2月12日、再版2月17日、三版2月22日、四版と五版は不明。</ref>
* [[蚕都新聞社]]社長の「[[上野公園]]」は実在の人物である(本名不明)。
* [[蚕都新聞社]]社長の「[[上野公園]]」は実在の人物である(本名不明)。
* 巻頭に28枚もの口絵写真が掲載されている。→「[[王仁蒙古入記の写真]]」
* 巻頭に28枚もの口絵写真が掲載されている。→「[[王仁蒙古入記の写真]]」
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[[Category:書籍]]
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[[Category:入蒙]]
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