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(2) 現代の鞍馬山
(2) 現代の鞍馬山


== (1) 太古の神代の鞍馬山 ==
== (1) 太古の神代の鞍馬山 ==
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== (2) 現代の鞍馬山 ==
== (2) 現代の鞍馬山 ==
[[ファイル:近畿マップ1.jpg|thumb|京都の鞍馬山の位置]]


[[第37巻]]・[[第38巻]]の自叙伝に出て来る。
京都にある山。[[第37巻]]・[[第38巻]]の自叙伝に出て来る。


* 初出:{{rm|37|12|邪神憑}}
* 初出:{{rm|37|12|邪神憑}}
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== 現実の鞍馬山 ==
== 現実の鞍馬山 ==
* 現実の鞍馬山は京都市の北東部にある標高584mの山。密教の修験の山で、宝亀元年(770年)に毘沙門天を本尊とする鞍馬寺が創建された。
* 現実の鞍馬山は京都市の北東部にある標高584mの山。密教の修験の山で、宝亀元年(770年)に毘沙門天を本尊とする鞍馬寺が創建された。
* 牛若丸(源義経)が修行した山で、牛若丸に剣術を教えた鞍馬天狗が住むと伝えられる。
* 牛若丸(源義経)が修行した山で、牛若丸に剣術を教えた鞍馬天狗が住むと伝えられる。


== 俊寛 ==
[[出口王仁三郎]]が昭和3年(1928年)1月、[[喜界島]]に巡教<ref>台湾巡教の帰途。</ref>した時に次の歌を詠んでいる<ref>『[[真如の光]]』昭和3年(1928年)2月5日号、歌日記(六一)、5頁、1月13日の歌日記</ref>。俊寛は流刑地の喜界島で死んだと言われているが、実は生きて帰り鞍馬山で「鬼一法眼《きいちほうげん》」になったというもので、[[曲亭馬琴]]の『俊寛僧都島物語』もそういう話になっている。
* 太平洋荒波に浮く此の島に俊寛ありし昔しのばゆ
* 俊寛は窃《ひそ》かに帰り鞍馬山に天狗と名乗り源家《げんけ》を起《おこ》せり
* 大僧正鬼一法眼と名をかへて牛若丸に軍学教へぬ
== 外部リンク ==
* {{wp|鞍馬山}}
* {{wp|鞍馬寺}}
* {{wp|鬼一法眼}}
* [https://kotobank.jp/word/529735 俊寛僧都島物語] - コトバンク


== 脚注 ==
== 脚注 ==
<references/>
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== 外部リンク ==
* <wp>鞍馬山</wp>
* <wp>鞍馬寺</wp>


[[Category:霊界物語の山|くらまやま]]
[[Category:霊界物語の山|くらまやま]]