「野と森と海の讃歌」の版間の差分

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'''野と森と海の讃歌'''(のともりとうみのさんか)及び'''風と光と雲の讃歌'''(かぜとひかりとくものさんか)は、[[宇城信五郎]](うしろ のぶごろう<ref>名前の読み方は『野と~』p5、『風と~』p1</ref>、1889~1982年)の生涯を描いた伝記小説。『野と~』は『風と~』は題名は異なるが前編・後編の関係にある。
'''野と森と海の讃歌'''(のともりとうみのさんか)及び'''風と光と雲の讃歌'''(かぜとひかりとくものさんか)は、[[宇城信五郎]](うしろ のぶごろう<ref>名前の読み方は『野と~』p5、『風と~』p1</ref>、1889~1982年)の生涯を描いた伝記小説。『野と~』は『風と~』は題名は異なるが前編・後編の関係にある。


[[宇城信五郎]](宇城省向)は明治22年(1889年)3月1日、三重県生まれ<ref>『野と~』p5</ref>。大正10年(1921年)大本に入信。本部で作業課長など幹部職員を務めた。大戦後は東筑紫短期大学の創始者として教育事業に携わった。昭和57年(1982年)1月26日帰幽、94歳<ref>『野と~』「第二版のあとがきにかえて」p325</ref>。
[[宇城信五郎]](宇城省向)は明治22年(1889年)3月1日、三重県生まれ<ref>『野と~』p5</ref>。大正10年(1921年)大本に入信。本部で作業課長など幹部職員を務めた。大戦後は東筑紫短期大学の創始者として教育事業に携わった。[[西村光月]]の義弟<ref>『東筑紫学園三十年史』93頁、{{ndldl|3447013/1/51}}:〈校長宇城信五郎氏の義兄に当る西村光月氏が作詞に当り〉</ref>。昭和57年(1982年)1月26日帰幽、94歳<ref>『野と~』「第二版のあとがきにかえて」p325</ref>。


== 概要 ==
== 概要 ==
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! 著者
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| [[野林正路]](のばやし まさみち)
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== 著者略歴 ==
'''野林正路'''(のばやし まさみち)
昭和7年(1932年)台湾キールン市生まれ。
23歳の時、宇城と出会い、昭和31年(1956年)から3年間、学校法人東筑紫学園(東筑紫短期大学の経営母体)に勤務して『東筑紫学園二十年史』を執筆編纂<ref>『野と~』p314,381</ref>。
言語学者として法政大学助教授、茨城大学教授。専門は社会言語学・意味論。
〔奥付の情報をもとに作成〕


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* <wp>東筑紫短期大学</wp>
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== 脚注 ==
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[[Category:書籍]]
[[Category:書籍]]