「元伊勢皇大神社」の版間の差分
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− | + | '''元伊勢皇大神社'''(もといせこうたいじんじゃ)は、大江町にある神社で、[[元伊勢]]伝承地の一つ。明治34年(1901年)の「[[元伊勢お水の御用]]」の舞台となった。 | |
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+ | * 鎮座地:京都府福知山市大江町内宮字宮山217 | ||
+ | * 主宰神:天照大神 | ||
+ | * 宮山と呼ぶ高台の上に鎮座する。 | ||
+ | * そばを流れる[[宮川]]に「[[産釜産盥]]」という磐座がある。 | ||
+ | * 霊界物語{{rm|16|16|神定の地}}には、元伊勢皇大神社の起源とも言うべきエピソードが記されている。──[[大江山]]の麓、[[剣尖山]]の谷間で[[ウラナイ教]]を布教していた[[青彦]]を諫めるため、[[悦子姫]]は偽の神懸かりをしたが、本物の[[天照皇大神]]が懸かり、宮殿の造営を[[亀彦]]、[[英子姫]]、[[悦子姫]]の三人に一任した。百日間の造営工事を経て宮殿は完成し、天照大御神の神霊を祀った。「これ伊勢神宮宮殿造営の嚆矢なり。今は丹後の元伊勢と云ふ」 | ||
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+ | 地元では皇大神社、天岩戸神社、豊受大神社の三社を「元伊勢三社」と呼んで信仰されて来た。 | ||
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+ | '''豊受大神社'''(とゆけだいじんじゃ)は皇大神社から南へ約3km離れた[[船岡山]]と呼ぶ高台に鎮座する。伊勢外宮の元宮だという伝承がある。住所は、明治22年~昭和26年までは加佐郡 河守上村(こうもりかみむら)大字 天田内(あまだうち)。現在は京都府福知山市大江町天田内。 | ||
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+ | 両社とも元伊勢水の御用の際に、出口直・王仁三郎一行が参拝した記録がある<ref>出口王仁三郎の歌集『浪の音』359頁「断崖の上に建てたる岩戸神社鉄柵つたひて神前に詣でし」、363頁「かへり路を河守船岡山にます豊受大神の宮に詣でし」</ref>。 | ||
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+ | ファイル:豊受大神社2014-4.jpg|豊受大神社の御神木。2014年4月撮影。 | ||
+ | ファイル:豊受大神社2014-5.jpg|豊受大神社から見た風景。2014年4月撮影。 | ||
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== 外部リンク == | == 外部リンク == | ||
+ | * [http://motoise-naiku.com/ 元伊勢内宮皇大神社](公式サイト) | ||
+ | * [http://motoise-naiku.com/motoise3sya.html 元伊勢三社とは](皇大神社の公式サイト内) | ||
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2024年6月2日 (日) 18:36時点における最新版
元伊勢皇大神社(もといせこうたいじんじゃ)は、大江町にある神社で、元伊勢伝承地の一つ。明治34年(1901年)の「元伊勢お水の御用」の舞台となった。
概要
- 鎮座地:京都府福知山市大江町内宮字宮山217
- 主宰神:天照大神
- 宮山と呼ぶ高台の上に鎮座する。
- そばを流れる宮川に「産釜産盥」という磐座がある。
- 霊界物語第16巻第16章「神定の地」#には、元伊勢皇大神社の起源とも言うべきエピソードが記されている。──大江山の麓、剣尖山の谷間でウラナイ教を布教していた青彦を諫めるため、悦子姫は偽の神懸かりをしたが、本物の天照皇大神が懸かり、宮殿の造営を亀彦、英子姫、悦子姫の三人に一任した。百日間の造営工事を経て宮殿は完成し、天照大御神の神霊を祀った。「これ伊勢神宮宮殿造営の嚆矢なり。今は丹後の元伊勢と云ふ」
元伊勢三社
地元では皇大神社、天岩戸神社、豊受大神社の三社を「元伊勢三社」と呼んで信仰されて来た。
天岩戸神社は宮川の岸壁に建っている小さなお宮である。
豊受大神社(とゆけだいじんじゃ)は皇大神社から南へ約3km離れた船岡山と呼ぶ高台に鎮座する。伊勢外宮の元宮だという伝承がある。住所は、明治22年~昭和26年までは加佐郡 河守上村(こうもりかみむら)大字 天田内(あまだうち)。現在は京都府福知山市大江町天田内。
両社とも元伊勢水の御用の際に、出口直・王仁三郎一行が参拝した記録がある[1]。
ギャラリー
【豊受大神社】
豊受大神社が鎮座する船岡山に登る石段。2014年4月撮影。
関連項目
外部リンク
- 元伊勢内宮皇大神社(公式サイト)
- 元伊勢三社とは(皇大神社の公式サイト内)
- 皇大神社 (福知山市) - ウィキペディア
- 豊受大神社 - ウィキペディア
脚注
- ↑ 出口王仁三郎の歌集『浪の音』359頁「断崖の上に建てたる岩戸神社鉄柵つたひて神前に詣でし」、363頁「かへり路を河守船岡山にます豊受大神の宮に詣でし」