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戦後初めて厚表紙の装丁の霊界物語が出版された。 | 戦後初めて厚表紙の装丁の霊界物語が出版された。 | ||
天声社社史<ref>[http://www.tenseisha.co.jp/syasi/syasi_15.html 「15,発展する文書宣教」]</ref>によると、この校定版は大本教典刊行会を中心として会員制(月会費800円)による限定販売とし、前納一括払いだと28,000円(1冊約378円)だった。1ヶ月2冊の配本を目標として、42年8月の刊行開始から半年後には会員4000名、45年春の第60巻刊行時には4400名に達した。 | 天声社社史<ref>[http://www.tenseisha.co.jp/syasi/syasi_15.html 「15,発展する文書宣教」]</ref>によると、この校定版は大本教典刊行会を中心として会員制(月会費800円)による限定販売とし、前納一括払いだと28,000円(1冊約378円)だった。1ヶ月2冊の配本を目標として、42年8月の刊行開始から半年後には会員4000名、45年春の第60巻刊行時には4400名に達した。 | ||
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+ | 一、その後、巻によつては、しばしば版を重ねられ、第一巻などは、昭和七年七月に第十版が刊行された。全巻をまとめたものとしては、昭和三十四年から二ケ年間に普及版が、引続き「天祥地瑞」が復刊された。<br /> | ||
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2019年3月9日 (土) 16:51時点における最新版
校定版(こうていばん)とは、昭和42年(1967年)8月から45年9月にかけて天声社が刊行した霊界物語のこと。天祥地瑞を除く72巻74冊が発刊された。正式には「校定版」だが「校訂版」とも呼ばれることもある。編集・大本教典刊行会。
聖師校正本を底本にしており、総ルビで、旧仮名遣い。一部の漢字を平仮名にしている。 戦後初めて厚表紙の装丁の霊界物語が出版された。
天声社社史[1]によると、この校定版は大本教典刊行会を中心として会員制(月会費800円)による限定販売とし、前納一括払いだと28,000円(1冊約378円)だった。1ヶ月2冊の配本を目標として、42年8月の刊行開始から半年後には会員4000名、45年春の第60巻刊行時には4400名に達した。
編集方針
校定版の編集方針が分かる資料として、第1巻P271~273「あとがき」を引用する。
あとがき
一、霊界物語は、大正十年十月十八日より、著作口述をはじめられ、大正十五年七月一日に、第七十二巻を了へ、さらに昭和八年十月四日、七十三巻(「天祥地瑞」)の口述をはじめられ、昭和九年八月十五日に八十一巻を了へられた。
一、印刷刊行は、第一巻が大正十年十二月、―第七十二巻が昭和四年四月、第七十三巻が昭和八年十一月、―第八十一巻が昭和九年十二月である。
一、その後、巻によつては、しばしば版を重ねられ、第一巻などは、昭和七年七月に第十版が刊行された。全巻をまとめたものとしては、昭和三十四年から二ケ年間に普及版が、引続き「天祥地瑞」が復刊された。
一、昭和九年十二月から昭和十年六月にわたり、出口聖師は、全七十二巻(実際は七十三冊)について、自ら詳細に補正の筆を加へられたが、幸ひ、その校定本そのものが、大本事件の証拠物件として裁判所に保管されていたため、焼却などの厄を免れ、事件解決後、無事返還された。
一、今回の刊行は、すべて、聖師の校定本を原本としたものである。
ただし、第一巻、第二巻および第二十七巻の校定本は、昭和二十五年の事務所火災のおり焼失したものか、現存してないので、それらに対しては、第三巻以下の補正の個所を具さに研鑽し、それに準拠さしていただくこととしたのである。
一、カナづかひは、原本の通り、旧カナにしてゐるが、漢字でなくてもよいと思はれるものは、カナにあらためた。
一、本巻の第十二章までは、全部、出口聖師みづから執筆せられ、「回顧録」と題して、大正十年二月十日号の「神霊界」誌上に発表され、さらに多少の訂正を加へられたものである。
なほ各章の末尾には、口述された年月日と、筆録者の氏名が記されているが、そのときの都合で、口述者みづから執筆されたものもあることを申しそえておきたい。
一、この種の〝編者のことば〟は、原本においては、各巻の初めに『凡例』として掲載されているのであるが、今回の刊行にあたっては、これを『あとがき』に改め、巻末に入れることとした。
昭和四十二年七月
編者
脚注
関連項目
- 霊界物語の諸本:諸本の一覧