「出口王仁三郎」の版間の差分
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2019年3月8日 (金) 06:54時点における版
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出口王仁三郎(でぐち おにさぶろう、1871~1948)は、世界改造業者。大本教祖、宗教家、霊能者、予言者としても知られている。幼名は上田喜三郎。
明治4年(1871年)7月12日生まれ。
昭和23年(1948年)1月19日(旧12月9日)昇天。
出生
明治4年(1871年)7月12日(当時はまだ改暦前。新暦だと8月27日になる)上田家に生まれる。幼名・喜三郎(きさぶろう)。
8人兄弟の長男。他の弟妹は次の通り[1]。
- 長男 喜三郎
- 次男 由松(よしまつ)
- 三男 幸吉(こうきち)
- 四男 政一(まさいち)
- 五男 久太郎(きゅうたろう)…出生後数十日で帰幽。
- 長女 絹子(きぬこ)…4才で帰幽。
- 次女 雪子(ゆきこ)
- 三女 君子(きみこ)
少年青年時代
25歳の頃、斉藤家の養子となり、一人娘と結婚。しかし丁度100日で離縁となる[2]。
大地の母6p284「二度も嫁さん持って」 http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138906c06
高熊山修業以降
「王仁三郎」の名の由来
まだ亀岡で幽斎研究を続けていた頃、ひそかに出修に行けという神示が降りた。そこで友人の斎藤だけに話して、母には心配しないように書き置きを残して出かけた。このとき書き置きに、ふと「鬼三郎(きさぶろう)」と署名した。後に綾部に来てからナオの筆先で「おにさぶろう」と命名されので、「王仁三郎」と名乗るようになった。[3]
戸籍上、正式に「出口王仁三郎」になったのは明治43年(1910年)の暮れである。
第一次大本事件以降
第二次大本事件以降
家族
澄子との間に男子2人・女子6人の子ができたが、そのうち男子2人・女子1人は小さい時に帰幽したので、一般的には子は女子5人と思われている。
続柄 | 名前 | 生誕日 | 帰幽日 | 年齢 |
---|---|---|---|---|
長女 | 直日(なおひ) | 明治35年(1902年)3月7日(旧1月28日) | 平成2年(1990年)9月23日(旧8月5日) | 88歳 |
二女 | 梅野(うめの) | 明治37年(1904年)5月30日(旧4月16日) | 不明 | 歳 |
三女 | 八重野(やえの) | 明治42年(1909年)5月1日(旧3月12日) | 平成10年(1998年)12月20日(旧11月2日) | 89歳 |
四女 | 一二三(ひふみ) | 明治44年(1911年)8月8日(旧閏6月14日) | 昭和2年(1927年)12月21日(旧11月28日) | 16歳 |
長男 | 六合大(くにひろ) | 大正2年(1913年)8月29日(旧7月28日) | 大正3年(1914年)4月9日(旧3月14日) | およそ7ヶ月 |
五女(四女) | 尚江(ひさえ) | 大正4年(1915年)3月5日(旧1月20日) | 昭和52年(1977年)7月28日(旧6月13日) | 62歳 |
二男 | 相生(すけなり) | 大正7年(1918年)4月3日(旧2月2日) | 大正7年(1918年)8月25日(旧7月19日) | およそ5ヶ月 |
六女(五女) | 住之江(すみのえ) | 大正7年(1918年)4月3日(旧2月2日) | 不明 | 歳 |