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2018年11月23日 (金) 16:08時点における版
穹天閣(きゅうてんかく)は、綾部の神苑にあった建物。本宮山(鶴山)山頂にあった。昭和5年(1930年)4月に完成。
概要
- 穹天閣は、第一次大本事件で取り壊された本宮山神殿の材料を用いて建てられた記念の建物で、綾部における王仁三郎・澄子の居館に当てられた。[1]
- 霊界物語の校正場所の一つであり、昭和10年3月4日に第8巻の一部が校正されている。
略年表
- 昭和4年(1929年)4月14日、穹天閣の地鎮祭。5月2日、斧始式。8月11日、立柱式。8月16日、上棟式。
- 昭和5年(1930年)4月1日、みろく大祭。黄金閣に安置していた開祖御神像を穹天閣に遷座。
- 同年4月2日、穹天閣竣成式。
- 昭和7年(1932年)1月27日、穹天閣の裏(北側)にみろく亭(三六亭)が完成。
- 昭和7年(1932年)3月4日、艮の金神と乙姫を穹天閣の二代教主居間に鎮祭。
- 昭和8年(1933年)4月3日、霊界物語の原稿浄写綴全冊を黄金閣から穹天閣に移す。
- 同年7月3日、穹天閣の前庭に山家から搬出した巨石で「天津磐境」を造る。
- 同年11月7日、王仁三郎の神像・七福神像の扮装写真18枚を穹天閣に掲額。
- 昭和11年(1936年)5月、第二次大本事件で破却される。
〔この年表は「大本年表」をもとに作成した(注記ある場合を除く)〕
その他
- 昭和5年4月に開祖の神像が穹天閣の王仁三郎の部屋に祭られたが、これは同殿同床の本義に則ったものである。〔月鏡「同殿同床の儀」#、初出『神の国』昭和5年5月号〕
- 穹天閣の宝物の中に、河童の手があった。熊本県の小国の信者が献上したもの。〔『昭和青年』昭和7年11月号「出口王仁三郎氏を囲む神霊座談会#」〕