出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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2018年11月19日 (月) 02:19時点における版
玉泉苑(ぎょくせんえん)は、
- 天恩郷内の一部分を、第二次大本事件まではそのように呼んでいた。どの辺りかは判然としないが、
- 中の島がある辺り。「天恩郷内玉泉苑の中島、千歳庵に於て」〔第73巻序文#(昭和8年10月4日)〕(第73巻の第1~6章はこの千歳庵で口述された)
- 東光苑の一部分(北側のエリア?)。「大本年表」の昭和8年(1933年)1月12日の項に「東光苑内玉泉苑の石段完成」とあり、また同年11月25日の項に「亀岡天恩郷東光苑内の玉泉苑に教歌碑・追懐歌碑の二基建立除幕式、祝賀園遊会」とある。
- 蓬莱分院(静岡県三島町)の庭園のこと。王仁三郎は昭和8年(1933年)2月9日に蓬莱分院開院式に出席し、本館を「透明閣」、庭園を「玉泉苑」と命名した。[1]
脚注