「更生館」の版間の差分
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2018年10月7日 (日) 09:02時点における版
更生館(こうせいかん)は、王仁三郎の更生(還暦)を祝って天恩郷に建設された作品展示施設。
昭和6年(1931年)8月25日(旧7月12日)、王仁三郎は満60歳を迎え、綾部の五六七殿で更生祭が盛大に行われたが、その前日(8月24日)に更生館の竣成式が行われた。
聖師の更生をいわって、全信徒の手で天恩郷に更生館が新築された。更生館は「大」の字をかたどった神殿様式で、間口二二メートル・奥行五〇メートルが、銅板ぶきのおおきな建物である。これは宗教博の大本館を模して、さらにそれを拡大美化したものであった。内部には開祖の遺品や聖師の作品をはじめ、一見して大本の概要がわかるように、出品や展示に工夫がこらされ、その一隅には聖師の画室ももうけられた。更生館の新設は天恩郷に偉観をそえたばかりでなく、館内の展示物は参観者に便宜をあたえた。
この画室は昭和7年2月1日に建設されたようである。「みろく亭」と名付けられた。[1]
「大」の字をかたどったことについて王仁三郎は次のように述べている。
宇宙と云へば、世人皆大きな世界と云ふ意味に承知して居るやうであるが、さうでは無い。宇宙は大の字の形をして居るので、それで大宇宙といふのである。大の字は又人間の形である。頭があり、両手両足があり、胴がある形だ。更生館は新たに生れた事を記念する為めに大の字の形に造つたのである。
更生館は霊界物語天祥地瑞篇の口述場所としても使われており、第75巻第10章「祈り言」#と第11章「魂反し」#の2章は昭和8年11月26日に更生館で口述されている。
また、昭和9年(1934年)2月5日に入蒙記念展覧会が[2]、同年8月には皇道宣揚展覧会が[3]更生館で開催されている。
他の建物同様、第二次大本事件で破壊されたが、戦後その跡地に王仁三郎の歌碑「鶴山に妻は錦の機を織り吾亀岡に万代を教ふ 王仁」が建てられた。昭和37年(1962年)8月7日(大本開教70周年の瑞生大祭の日)に歌碑の除幕式が行われている。[4]