「由良川」の版間の差分
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「由良」は河口の海岸部の地名である(宮津市)。由良川の上流部、福知山付近では「音無瀬川」と呼ばれ、さらに上流の和知の辺りでは「和知川」と呼ばれる。 | 「由良」は河口の海岸部の地名である(宮津市)。由良川の上流部、福知山付近では「音無瀬川」と呼ばれ、さらに上流の和知の辺りでは「和知川」と呼ばれる。 | ||
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+ | *「本宮山裾を流るる'''和知川'''の 水は此世のみそぎなるらむ」<ref>{{rm|62|30}}</ref> | ||
+ | *「'''和知川'''の清流、並木の松を逆に映し(略)その傍に悄然として建てる祥雲閣は」<ref>{{rm|nm|6}}</ref> | ||
+ | *「綾の高天原に現はれて 教を流す'''和知の川'''」<ref>{{rm09|16|0003|総説歌||a047|a048}}</ref> | ||
== 由良川とヨルダン川 == | == 由良川とヨルダン川 == |
2018年6月21日 (木) 03:48時点における版
由良川(ゆらがわ)は、綾部を流れる川。地域によっては「和知川」「音無瀬川」等と呼ぶ。
由良川は三国岳を水源とし、西へ流れ、綾部を通り、福知山で大きく北東に流れを変え、若狭湾に注ぐ。
呼び方
「由良」は河口の海岸部の地名である(宮津市)。由良川の上流部、福知山付近では「音無瀬川」と呼ばれ、さらに上流の和知の辺りでは「和知川」と呼ばれる。
現在綾部では「由良川」と呼ぶのが一般的だが、王仁三郎が由良川の綾部の流域を呼ぶ時は「和知川」と呼ぶ場合が多い。
【例】
由良川とヨルダン川
霊界物語や伊都能売神諭で、「由良川」と書いて「ヨルダン」とルビが振られている場合がある。また「和知川」に「いすずがは」とルビが振られている場合がある。
【例】
- 「昔の聖地ヱルサレム 橄欖山や由良(ヨルダン)の」[4]
- 「いと安く由良川(ヨルダンがは)の浪を越え」[5]
- 「由良川(よるだんがは)の水上の渭水(いすい)の辺(ほと)りに流れも清き和知川(いすずがは)十二の支流(ながれ)を寄せ集め、三千世界の隅々へ」[6]
- 「清けき和知(いすず)の玉水に」[7]
- 「それからヨルダン河というけれども、ダンはランという言葉の訛りでヨルラン河という事や、由良川はヨルラン川や。ワシの歌にヨルダン河というのが出て来るが、それは和知川の事を言うてるのや」[8]
霊界物語での由良川
主なエピソード
竜宮島の諏訪の湖の玉依姫命から献上された五個の麻邇宝珠は、梅子姫・初稚姫ら一行10人により、八咫烏に乗って、由良の港の秋山館に到着した。麻邇宝珠は五個の柳箱に入れられ(しかし何故か素盞嗚尊によって箱がすり替えられ)、神輿に納められ、船で由良川を溯って綾の聖地に運ばれた。〔第26巻第1章#~第2章#、第9章#~第11章#〕
瀬織津姫行事と万灯流し
- 大本節分大祭の夜、壺に納められた人型を和知川に流す「瀬織津姫行事」(人型流し)が行われる。これは明治43年(1910年)以来、行われている。[9]
- 熊野新宮神社で毎年7月に水無月祭を行うが、夜、和知川に灯篭を流す「万灯流し」が夏の夜の風物詩になっている。これは明治40年(1907年)旧9月28日(新11月3日)、竜宮の乙姫の祭典を行い、28本の燈明を点じ、王仁三郎と梅田信之が川に流したのがその始まりである。[10]
脚注
関連項目
外部リンク
- 由良川 - ウィキペディア
- 由良川 - コトバンク
- 福知山河川国道事務所(河口から綾部までは国交省が管理)
- 京都府河川課(綾部より上流は京都府が管理)
- 万灯流し - あやべ水無月まつり実行委員会