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'''智照館'''(ちしょうかん?)は、[[天恩郷]]にあった建物。昭和4年(1929年)10月に完成し、写真館として使われた。[[大祥殿]]の南側にあった。
[[ファイル:智照館1.jpg|thumb|智照館]]
 
'''智照館'''(ちしょうかん)は、[[天恩郷]]にあった建物。昭和4年(1929年)10月に完成し、写真館として使われた。[[大祥殿]]の南側にあった。


大本で写真頒布が盛んになったのは智照館が完成してからである。参拝記念や行事の写真頒布はそれまでも行われていたが、智照館の完成によって計画的に行われるようになった。<ref name="B195402c5423">『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5423|文書宣伝}}」</ref>
大本で写真頒布が盛んになったのは智照館が完成してからである。参拝記念や行事の写真頒布はそれまでも行われていたが、智照館の完成によって計画的に行われるようになった。<ref name="B195402c5423">『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5423|文書宣伝}}」</ref>

2025年4月8日 (火) 01:17時点における最新版

智照館

智照館(ちしょうかん)は、天恩郷にあった建物。昭和4年(1929年)10月に完成し、写真館として使われた。大祥殿の南側にあった。

大本で写真頒布が盛んになったのは智照館が完成してからである。参拝記念や行事の写真頒布はそれまでも行われていたが、智照館の完成によって計画的に行われるようになった。[1]

略年表

  • 昭和4年(1929年)8月27日、地鎮祭ならびに立柱式、上棟式。
  • 同年10月28日、竣成。
  • 昭和6年(1931年)、増築工事の地鎮祭。
  • 昭和8年(1933年)8月、明光社に所属していた智照館と明鏡館(銅版部)が天声社に移管される。[1]

〔この年表は「大本年表」をもとに作成した(注記ある場合を除く)〕

脚注

  1. 以下の位置に戻る: 1.0 1.1 大本七十年史 下巻』「文書宣伝#