「笹目秀和」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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笹目秀和(ささめ しゅうわ)(1902 - 1997)は仙人。道院の修方(会員)。東京多摩道院統掌。

白頭山で神仙(仙人)に会い、自分の使命を聞かされる。また出口王仁三郎から大本の御神体を預かり崑崙山に鎮めに行った。

本名・笹目恒雄(ささめ つねお)。秀和は道名。妻・妙子。

略歴

  • 明治35年(1902年)1月31日、茨城県生まれ。中央大学法学部に入学。
  • 大正13年(1924年)8月、22歳、大学生の笹目は中国大陸を旅行した。そのとき白頭山長白山)の呂霊棘(リョリンライ)神仙の招きで、白頭山に登る。呂霊棘神仙(年齢207歳)は白頭山頂の湖(天池)のほとりの巨大な洞窟に弟子たちと住んでおり、その影響力は広範囲に及び、当時「満州王」と呼ばれていた張作霖も一目置く存在であった。
  • 笹目は呂霊棘から、三千年来に及ぶ笹目と天池の関係と、来たるべき未来に向けて笹目がやるべきことについて教えられた。笹目は普通の人が送るような生涯を送れないこと、日本国のカルマ(業)を背負って、常人にはとうてい耐えることの出来ない苦労をしなければいけないこと、その苦境から脱出する鍵は、12年後に会うことになる崑崙山の疏勒(シュロ)神仙から授けられること、などを聞かされた。また、3000年前の前世の名前は「熊埜御堂」(くまんみたん)だと教えられる。そして「月の精を食(は)む法」を伝授された。
  • 下山(8月16日)した後、モンゴルへ行く。春に日本から大ラマ僧がやって来てたいへんな騒ぎだったという話を耳にする。それは出口王仁三郎のことだった。(王仁三郎の入蒙は2月~6月)
  • 帰国した笹目は綾部へ王仁三郎に会いに行く。ちょうど未決監から釈放されて帰宅したばかり(11月1日)の王仁三郎に面会し、モンゴルから留学生を呼ぶ計画を話す。これが笹目と王仁三郎との関わりの最初であった。
  • 叔母に資金を出してもらい、モンゴルから留学生を呼ぶ事業を始める。しかしそのお金を仲間に騙されて取られてしまい、王仁三郎に助けを求めると、横浜別院を使えと言われ、そこに留学生たちを住まわせる。
  • その後、資産家の祖父にお金を借りて、東京・目黒区駒場に留学生寮「戴天義塾」を設ける(昭和2年3月)。昭和3年(1928年)には北京に「満蒙義塾」を開設する。
  • 昭和10年(1935年)12月、崑崙山に向け出発する。白頭山で呂霊棘(リョリンライ)神仙に会ったとき、12年後(昭和11年)に崑崙山の疏勒(シュロ)神仙を訪ねて今後のことを相談するように言われたからである。12月4日(第二次事件の4日前)、日本を発つ前に綾部で王仁三郎と会う。すると王仁三郎から、大本の御神体を崑崙山に鎮めるよう頼まれる。その夜、出口日出麿から、崑崙山での任務を聞かされる。
  • 翌日12月5日早朝、竹筒に入った大本の御神体を王仁三郎から預かり[1]、日本を発つ。(王仁三郎は翌6日、松江に向け出発。8日、松江の島根別院にて検挙される[2]
  • 笹目は半年ほどかかり翌年6月中旬に、疏勒神仙が住む疏勒南山(青海省)に到着する。そこから更に20日間ほどかけて疏勒民族のいる集落に辿り着く。笹目は疏勒神仙(約500歳)から「太陽の精を食(は)む法」を教えらた。崑崙山脈のココシリ山に大本の御神体を鎮め、7月4日に疏勒神仙と別れた。
  • 戦争後、ソ連により抑留され、シベリアで11年4ヶ月の強制収容所の生活を送る。
  • 昭和32年(1957年)に帰国。東京都奥多摩の大岳山に多摩道院を開き、活動を行なう。
  • 平成9年(1997年)1月25日、帰幽。94歳。

脚注

  1. 出口和明出口なお・王仁三郎の予言・確言』254頁に「十二月四日の真夜中、王仁三郎がひそかに亀岡・天恩郷のオリオン星座にちなむ月宮殿に入り、ご神体を他の石と取りかえるのを側近内崎照代が目撃している。これは厳秘とされ、他へはもらされなかった。」と書いてある。『大本七十年史 下巻』376頁には「(聖師は)四日には日出麿夫妻と綾部にかえった」と書いてある。4日の夜、綾部にいたのか亀岡にいたのかはっきりしない。
  2. 大本七十年史 下巻』376頁

参考文献

主な著書

  • 『神仙の寵児』全4巻、霞ヶ関書房、昭和51年(1976年)…自動書記で書いたと言われている。
  • 『神仙の寵児』全8巻、山雅房、昭和54年(1979年)
  • 『ストップ・ザ・富士大爆発』、大多摩出版、昭和58年(1983年)
  • 『済佛伝』、多摩道院、昭和60年(1985年)
  • 『神仙の寵児』全8巻、国書刊行会、平成3年(1991年)
  • モンゴル神仙邂逅記』、徳間書店、平成3年(1991年)
  • 『光は東方より』、ノーバス、平成7年(1995年)

外部リンク