「吉岡発言」の版間の差分
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[[ファイル:大阪朝日新聞-昭和20年12月30日-吉岡発言.jpg|thumb|朝日新聞(大阪本社発行)昭和20年(1945年)12月30日朝刊(第一版)に掲載された吉岡発言の記事。]] | |||
'''吉岡発言'''(よしおかはつげん)とは、昭和20年(1945年)12月30日(日曜)付の大阪の[[朝日新聞]]<ref>『東京朝日新聞』と『大阪朝日新聞』は昭和15年(1940年)9月に題号を『朝日新聞』に統一している。</ref>に掲載された王仁三郎のインタビュー記事の中の、王仁三郎の発言のことである。 | |||
王仁三郎は同年12月10日から翌年1月6日まで鳥取県の[[吉岡温泉]]に清遊した<ref>1月6日に吉岡を出発、8日夕に帰綾、14日に帰亀。</ref>。滞在中、12月28日に[[朝日新聞]]の鳥取方面通信員の織田記者から取材を受けた<ref>『大本教学 (大本信徒連合会の教学誌)』第4号(1998年12月発行)p.95</ref>。 | |||
吉岡発言はインタビューを編集した新聞記事のため、実際に王仁三郎が、記事内で使われている言葉、表現で発言したのかどうかは分からない。しかし王仁三郎が記事を批判したという話は聞かれないため、大筋において発言内容は正しいものと思われる。 | |||
== 発言要旨 == | == 発言要旨 == | ||
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*日本は亡びることはない。5年間は苦しい時代だ。 | *日本は亡びることはない。5年間は苦しい時代だ。 | ||
*軍隊が解体され、軍備がなくなったことは、世界平和の先駆者としての使命が含まれている。世界の軍備がなくなるときが近づきつつある。 | *軍隊が解体され、軍備がなくなったことは、世界平和の先駆者としての使命が含まれている。世界の軍備がなくなるときが近づきつつある。 | ||
== 記事全文 == | == 記事全文 == | ||
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しかし大和民族は絶対に亡びるものでない、日本敗戦の苦しみはこれからで、年毎に困難が加わり、寅年の昭和二十五年までは駄目だ。 | しかし大和民族は絶対に亡びるものでない、日本敗戦の苦しみはこれからで、年毎に困難が加わり、寅年の昭和二十五年までは駄目だ。 | ||
いま日本は軍備はすっかりなくなったが、これは世界平和の先駆者として尊い使命が含まれている。本当の世界平和は全世界の軍備が撤廃した時にはじめて実現され、いまその時代が近づきつつある。| | いま日本は軍備はすっかりなくなったが、これは世界平和の先駆者として尊い使命が含まれている。本当の世界平和は全世界の軍備が撤廃した時にはじめて実現され、いまその時代が近づきつつある。|『朝日新聞』(大阪本社発行)昭和20年12月30日朝刊(第一版)}} | ||
== 脚注 == | == 脚注 == | ||
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